12月に入ってからコロナの感染状況がみるみる悪化し、私たちは、閣僚会議の決定によりキガリ市から一歩も外へ出ることができなくなりました。1月はキガリ市内もロックダウン、2月に入り、やっとキガリ市内は動けるようになったところで、キガリの外へ出られる特別移動許可を警察からもらうことになりました。早速、明日からオベッド、フランソワ、サファリがンゴロレロ郡とルチロ郡の現場へ向かいます。

 

今回はここへたどり着くまでの顛末です。

 

12月に移動制限が出た際には、どっちみちクリスマスでどこも動いてないし、雨期の真っ最中だし、1月を待とう、その間に施工プランを立てたり、報告書のための準備をしたりしよう、ということになりました。

 

ところが1月に入ってもコロナの状況はどんどん悪くなります。政府の制限もどんどん厳しくなっていきます。

インフラ省の担当者にインフラ省から特別移動許可を出してもらえないかどうか、掛け合ってみましたが、「来週には制限が緩和されるかもしれないから待ってみよう。来週もだめなら手伝うから。」の繰り返し。あとでわかったことですが、この移動制限が発令している間、何人かのインフラ省関係者と多数の建設業者が移動許可証をめぐる贈収賄で処分されていました。そういったことに疑いをもたれないよう、担当の方も必死だったのだと思います。「協力してくれない」とついつい恨み節にも若干なりましたが、相手にも、私たちには計り知れない事情があることをいつも心に留めておく必要がありますね。

 

そうこうするうちに、私たちにとってのタイムリミットも迫ってきます。そこで警察へ直接申請することに。しかし、いくら連絡しても通じません。メールにも返事もありません。申し込みが殺到していて、医療関係者、食品業者が優先されているため、NGOは最後の最後だったのだろうと思います。

 

数日後、会計担当のジャンがどこからか警視庁の方の携帯電話の番号を入手し、「この人に電話をすればいいらしいから、ゆう子さん電話してみて」、と。

移動許可証特別室かなんかの方かなと思いながら、電話をしてみました。

とても丁寧にこちらの要望を聞いてくださり、紳士的にご対応いただきましたが、途中で私の電話回線がダウンしました(アフリカではよくあることです)。「もう少しで結論だったのに!と思いながらかけなおしても私の回線はつながらないまま。いそいでインターネットメッセージで「この番号にかけて続きよろしく!」とオベッドにお願いしました。

 

少ししてオベッドからメッセージがあり、結局その方は、アドバイスはできるけれども、許可証の発行にはかかわっていないということで…。

 

結局、キガリ市内の移動が可能になった月曜日にオベッドと警視庁へいき、直談判の末、1週間の、しかも行先限定の移動許可証をもらえたのでした。さすがに厳しい!

 

それにしても、この私たちが電話をして日曜の朝からお騒がせをした方は、なんと警視庁のスポークスパーソンで毎日ニュースに出ている方だったのです。

オベッドが少し興奮気味に、

「電話の相手、誰か知ってた?」

「え、許可証発行室の受付とかじゃなかったの?」

「ジェネラル ボスコだったんだよ!」

「ジェネラルボスコって誰??」

「ゆうこさん!ジェネラル ボスコは毎日テレビに出てるでしょうよ!」

といわれちゃいました。

(↓この方がジェネラル ボスコ。 コロナ対策のための移動制限や夜間外出禁止などの発表でいつもメディアに出ていらっしゃいます。私たちも取材してもらったことのあるイギヘ新聞の記事から借用。)

 

私たちはルワンダ初心者なので、私たちは知らないけど実は有名人だった、ということが時々あります。おととしのことですが、水泳部の延長で週末も長男は学校のプールで泳いでいました。そこに、「泳ぎは速そうだけど”ふざけた”水泳パンツをはいた」お兄さんがやってきたので、一丁レースでもと思い、挑んだところ全く歯が立たず、後で聞いたらルワンダ代表選手・東アフリカチャンピオンだった、ということがありました(笑)。

 

ルワンダ人の皆さんには少し興奮するような出来事なのに、私たちは何も知らずに…少しもったいないような気もしますね。

 

さて話はそれましたが、最低限の移動で、最大限の成果を出せるよう、工夫して取り組んでいきたいと思います。

私たちは移動ができない=事業地の人材を頼らないといけない=事業地の人材の主体性をエンカレッジする。

すべての出来事は、「おお、それはちょうどいい!」なんです(笑)。

 

(補足: 現場へ行く前には必ずコロナ検査をしてから向かっています。)