今日は、ルワンダ事務所の頼もしいスタッフを紹介です。

 

土木エンジニアのオベッドはNHKの取材のときも話していますが小さいときに虐殺でお父さんをなくしています。それからお母さんのもとで、学校の勉強を頑張った結果、奨学金を獲得し、国立大学も卒業できて、エンジニアになりました。屋外で作業をするのが大好きで、だから土木科を専攻したそうです。被害者側/加害者側、関係なく、村のみんなで一緒に働くことが一番大事、若い人たちを元気づけて人生は自分たちで切り開けることを伝えたい、と真剣に話してくれました。自分で必要と考えれば、土日の作業もいとわず、常に、ゴールを確認し、アクションプランを提案してくれます。ルワンダ事務所は彼の志の高さとガッツに引っ張られているといっても過言ではありません。現場では寄ってくる子供たちにいたずらっ子のように接して、ニカニカ笑っていますが、とにかくとても頼りになるのです。(NHKの番組はこちらから https://youtu.be/pU26VZqE-Gw   )

↓訓練生に訓練修了証を手渡すオベッド(左)

 

シファはちょうど虐殺がおこった頃に生まれました。小さい頃の写真は一枚もないし本当の誕生日も知らない、と笑います。彼女も勉強を頑張ったのでイギリスの援助機関から奨学金を得てタンザニアの大学を卒業して土木エンジニアになりました。ケニア事務所がルワンダでの事業を開始するためにここへ来たとき、彼女はインフラ省でインターンをしていて、その縁でルワンダ事務所の立ち上げスタッフになりました。彼女の場合は屋外での仕事よりも、デザインに興味があり、リサーチや書類作成が好きで得意なので、オベッドといいコンビなのです。オベッドがずんずん前に進んでいく中、彼女は多方面からの情報を元に、適切に調整をしてくれます。また、事務所全体が行動を決心できない時、彼女の決断力が発揮されることもしばしばです。去年赤ちゃんが生まれて、大忙しのママですが、オベッドやフランソワが出張を負担してくれながら、子育てと両立して頑張っています。

↓ミーティングでプレゼンをするシファ

 

フランソワは、環境/農業エンジニアで、オベッドやシファより少し年上です。農業省のプロジェクトで働いたこともあり、その時にはJICA研修に参加し、筑波大学で半年学びました。仕事で全国各地のプロジェクトに携わっていたため、COREの事業でもどこへ行っても郡政府の農業担当者とお友達だったりします。大学のリサーチアシスタントをしていたこともあり、今作っている最終報告書は彼が取りまとめてくれています。内容の項目も、このデータがあった方がいいとか、このデータとこのデータは一緒に表にしたほうがいいなど、積極的にチームをひぱってくれています。とってもまじめで、穏やかで優しい、4人の娘さんのパパです。

↓道路周辺環境整備訓練中のフランソワ(左)と、去年までルワンダ事務所を手伝ってくれていたCOREケニア事務所のジャコブ(右)

 

ジャンは昨年の10月から入りました。前の会計担当者が、夢かなってポーランドに留学することになり、ジャンが新しく事務所に入りました。彼も、オベッドたちと同じ世代で、政府から奨学金をもらいニャガタレの国立大学で勉強しました。そのあと、銀行の地方支店でお米の生産者組合のお金を扱っていました。農村の人々の役に立ちたいと言って、何事にもとても一生懸命です。事務所の雑用から機器修理から、何からなにまで、いつの間にかいろんなことを引き受けてくれています。

↓(左)オベッド、(中央)前任の会計担当者、(右)ジャン(前任者のお別れ会@事務所にて)

 

サファリはドライバーなのですが、「オベッドのハードスケジュールについて行ける人」ということで、昨年3月に採用しました。ご家庭の事情で高校へは進学できず、来た頃はまったく英語ができませんでした。それが半年もたつとみるみる英語が上達し、今では基本的なことはなんでも英語で会話ができるようになりました。なんとCOREに来てから家庭教師をつけて英語を勉強しているそうです。ほかにも、現場では作業アシスタントとしてエンジニアたちをいつも助けています。ワークショップの時は受付で、参加者の対応をし、消毒したり、体温を測ったり。いつも、いつの間にか何か手伝っているのです。そして、オベッドのハードスケジュールにちゃんとついて行っているのです。

↓現場では締固めの指導も!(ンゴマの訓練デモンストレーションにて)

 

こうして私は毎日ルワンダ事務所の頼もしいスタッフに引っ張られています。

 

 

ルワンダ事務所のスタッフはみんな、日本人の私たちが想像できないようなたくさんの苦労を乗り越えてきた若者たちです。アフリカでは珍しいルワンダの特徴の一つに学校の成績次第で、親のコネなど関係なく、奨学金がもらえたり就職できたりする点があると思いますが、ここのスタッフはみんなそうやって勉強したり、仕事を得たりしてきました。だからこそ、ルワンダの未来のためへコミットメントが強いのかもしれません。

 

私がルワンダ事務所に来た時、スタッフはすでに事業の2年目後半だったので、「私がみんなから事業を教わる」、という関係性がそのまま続いている、という感じで、むしろ私がみんなの指示を受けることのほうが多いような気もします。それぞれが、いつの間にか何かやっていたり、お互いの得意なことを分かって頼りながら、自分の得意なことは受け持ちながら、そうやって毎日の事業が進んでいきます。

 

困ったとき、私はいつも「最終的にはどうなっていたらすごくうれしいの?」といつも聞くのですが、最近では彼らが、「木村先生的には最終的にはどうなっていたら満足なんだろう?」とか、「MOFA的には、」とか、投げかけてくるようになりました。逆に私がゴール設定を迫られているのです(笑)。

 

ルワンダ事務所の頼れる人々との毎日についてでした。