
〜先日起こった出来事〜
【私の身に日常的に起こる
不思議な出来事】
ちょっと長くなるけどその不思議な出来事から考察する。
良ければ是非最後まで読んで頂きたい。
私の身によく起こる不可思議な出来事は日常化し過ぎて、もう何が通常なのかわからなくなっている。
例えば、頭の中で〇〇に電話しようと思ったらiPhoneのSiriがいきなり
「わかりました。〇〇さんですね?」
と話し出し勝手に電話を掛けたり。
テレビをみたいなと思ったら勝手についたり、電気を消そうと思ったら消えたり…
オートロックの施設でも前に立てば勝手に扉が開いたり、こんなのはもう当たり前で人に話して初めてそれ普通じゃないよと言われてやっと認識するといった感じ。
が、一昨日はそれまでには一度も起きた事がなかった事が起こった。
iPhoneを手に取り何気に着信履歴を見た。
そしたら、年末に脳梗塞で母が倒れて以来、ほぼ毎日電話したりLINEしたりしている母への着信履歴、発信履歴、不在着信が全て消えていた。
母のだけだ。
他の着信履歴などは全て残っているのに、母の履歴だけ全て消えていた。
間違って消去したにしては見事に母のだけを消すとは考え難かった。
LINE通話の履歴はLINEのアプリ上に残っているのに。
そこでふと焦り母に急いで電話をかけた。
そしたら普通に出たので安心したけどもう一度LINE通話の履歴を見ると、3日間母に電話もLINEもしていなかった。
一昨日から毎日着信履歴をチェックして、母の着信履歴、通話履歴が消えていないか確認するようになった。
確認したらそのまま母に電話を掛ける。
後付けだけど、お母さんへの電話忘れちゃいかんよというもう1人の私からの注意喚起だなと思うようにした。
とまぁ不思議な事なのかもしれないけど私の身にはこういう事が一日中起きるので、不思議とは思っていないが、母を大事にせねばなと思う出来事だ。
という話しは以前から一部にはした事はあるが、その出来事がどうとかは特別視していなくて、どんな事も自分の知りうるもの、知りうる世界だけで判断するとどうなるか?
という話しをしたい。
事実は不動だが、賛否、つまり否定や肯定は流動的である。
一つの事実に対してある者は否定的に、ある者は肯定的に見るのだが、それは自分がしる世界でその事実を見るから起こる出来事である。
さっきまで否定していたのものを、知らない世界を知った途端肯定的に見れるようになるのはなぜだ。
事実が一つなのに対してどうしていくつもの意見が上がるかというと、自分の価値観でその事実を見るからだ。
価値観の相違とはよく言うが、まず自分の知らない世界だからといって否定する事をしがちだ。
否定するなら肯定もしないとバランスが取れないのに、否定だけする。
逆も然り。
肯定だけするなどそんなものは有り得ない。自分の世界観ではその景色は肯定したくなるようのものかもしれないが、その世界を見れない存在にとってはその肯定的な意見は理解し難いものになる。
否定もせず、肯定もせず。
否定するなら肯定もしよう。
これでやっと事実に対してより正確に物事の判断は公正に近いものになるのでは?
自分が見える景色と、人が見る景色は同じなど有り得ないのだから、
まずは肯定否定はするなら両方、
しないならそれも両方。
そうしてようやく事実に対してより平等に判断し、価値観の違う者同士でもスムーズに話しが進められるのではないかな?
というお話しでした。
とても長いお話になりましたが、
最後までお読み頂き感謝いたします🥀
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