果報は寝て待て。
昨晩は、クーラーをせずに寝られるかと思ったが、
暑さのためか深夜1時頃にふと目が覚めた。
我が家は川の近くにあるせいか、
虫の音がにぎやかだった。
虫の音は暑さを少し和らげてくれる。
気持ち良いなと思うのも束の間に、
思考はネガティブな方にうつろうもので、
前職で自分がどうだったかなんてことを考えてしまう。
前職では、事業部を作り主体性なんかをテーマに
アジア各国を動き回っていた。
動き回ったせいか、
各国の顧客に好かれ顧客は主体的に事業にコミットしてくれた。
ビジネスにおいては、内部環境と外部環境がある。
私はビジネスにおいては、
内部環境を整えられる状態が最も豊かなことだと思っている。
内部環境はいわば自分の持つ価値観に基づき自分自身を高めようという主体性を持てる環境であることが望ましい。
前職においては、そんな環境であることを良いことに、
いかに自分のもつ価値観を貫徹するかなんてことを考えてやっていたように思う。
実際は、
周りの人々に支えられたり、誘導されるようにして、自分の方向性が決まっていったのではないか。
そこに主体性はなく、中動態的な状況だったのじゃないかなんて思っている。
一つの社会的にみた時に良い行いをした人がいるとして、その人はそれを主体的にやったのか否かなんてことはわからない。
人々は、その人が主体的な何かに基づいてそれをやったと思いがちだが、実はそうでもないのが世の常ではなかろうか。
いやはや、
自分はこういった功績を持ってます。なんてことは、贔屓目に見てもほぼないと考えていた方がいい。
自分がこうやったという自意識みたいなことは確かにあるんだけど、
自意識で実現できる範囲のことは、
大概誰でもできることであり、
自分がやらなければ誰かがやるようなことだ。
家族を自意識を持って大切にしてますなんていうのも、おかしくて。
自意識を持たないようにしたら、家族に対する思いが変わるようなら、家族から脱退した方が、家族も気が楽だろう。
そんなこんなで、
色々な良いことも悪いことも時の流れに身を任せていれば、
起こるわけだ。
無意識に、
身体が動いてしまうようなことに、
歯止めをかけないことを意識することが何よりも大切な気がする。
空気を読んで、なにもしない。こういうことをやっていると、行動の幅は狭まり、世間一般、ここでいう世間とは、そのときの流行に流されるような世間である。
何もしないと、
結局、小さな器の中で生きていくことになり、
その小さな器はいつでも破られてしまうようなやわなもの。
そうでなくて、器に乗ったり、降りたりできるような、もはや宇宙空間に身を置くくらいの気持ちで、
身体性をもって今ある空間で息をしていくくらいの自然体が小さなことにクヨクヨせず、穏やかに過ごすこつなのである。
果報は寝て待て。