転職してから、はや一ヶ月が経った。
正直、流石に疲れが出てきた。
前職を辞めたのは、この人間を生きていく上で、良い選択だったと思う。
今この人間は、自分こそが社会にインパクトを残す何かをするんだという熱病に冒されている。
かといって、これをやるという具体的なものはない。
おそらくそれで良い。
そのような頭の中のこういった感じを馬鹿みたいに抱いていることが、
日々舞い降りてきたり、正面からガツンとくる情報なり人との出会に対する感度を自動的に、無意識的に高めているのだと思う。
「流石に」という言葉の裏には、妙な自信がある。自分は体力があるから大丈夫だろう、というよくわからない自負だ。でも、この「体力」という言葉が意味しているのは、どうやら肉体的なものに限られていたらしい。
実際にいま疲れているのは、体ではなく精神だ。新しい組織に入って、そのあり方に合った表現を作り込み、体系化していく――そういう「精神の体力」を使い果たしている感覚がある。
肉体の疲労と精神の疲労は、まったく別の系統にある。だからこそ、普段の「まだいける」という自信が通用しない。
肚の底に溜まるストレス
日々の業務をこなす中で、頭ではなく「肚の底」にずっしりとしたストレスが溜まっていくのを感じる。それは、ただの疲労感とは違う。何かを整理しきれず、言葉にならずに沈殿していくような重さだ。
このまま「そういうものだ」と片付けてしまえば簡単だろう。だが、ここで立ち止まって整理しなければ、ずしりずしりと積み重なって、今後もっとしんどくなることは目に見えている。
この精神の疲労感は、
肉体にも影響を及ぼす。
精神が疲労するからそのばで動きたくなくなるわけだ。動かなければ身体の方が弱くなってくる。
身体を動かすと、心は前向きになるものだ。この前向きさを保つことでしか、今抱えている精神の疲労感は緩和されないであろう。
この精神的な疲労は、
新しい組織の作法に対して気を使うところである。
自分が進めているプロジェクトをまがいなりにも持っている手前、組織の作法を予測し、あらゆる書類を作成している。組織といっても、直属のじょうしが組織の構造上、今持っているプロジェクトを社会に発信する上では、一つ目の関所の様な感じになっている。この関所では、その関所が通行を許可するに足りる情報をわかりやすく提示する必要がある。
どうやらこの関所の番人は忙しいらしく、サクサクと業務をすませたいようだ。
サクサクと行けるようにと、こちらとしては、慮って資料を作成する必要がある。
慮るためには、情報が必要で、事前に、ポイントを抑えるために、番人の思考性を把握するために、番人が時間がありそうな時に、直接的にコンタクトをとるが、、、ここで私はミスを犯してしまう。それは、自分が馬鹿に見られない様にするために、先回りして、こういうことですよねと、関所で必要となる通行証の雰囲気をつらつらと冗長に語る。笑顔で。相手はその笑顔とつらつらと語る私に、うんうんそうそうとその場は頷いているが、この番人忙しいので番人の考えを聞く前に面談時間が終わってしまうのである。
ここを変えたい。
馬鹿に思われることを恐れ、圧倒的にコミュニケーションのボールポゼッションの率を私が握るのではなく、相手に握らせる様にしておけば、
相手が通行証の雛形を提示しやすくなるのではなかろうか。
社会に課題があって、その課題を解決するのが事業だと考えている。
私は、より大きな社会課題を解決したいと思い、作為的に資本の大きな会社に入った。
この事業構想を通過させることが何よりも重要である。いわゆる社内承認がなければ、事業は事業として外に出て行かない。
外に出すことを兎にも角にもやることに注力すべきである。
外に事業構想を疲労するにあたり、
その道には、何人もの人間が立っていいて、それぞれの人間が良いと言わなければならない。
彼らの気分を損ねないように、
物事を通す必要がある。
それぞれの人間には、性格や人格があってクセがあるんだと思う。
ちなみに、許可を出す人も、次の許可を出す人に嫌われないように、しないといけない。
うむ、面倒な話だ。
ひとまず、
先週許可を取るために、資料を作成したが、
その資料はポイントが整理されてないと一蹴された。
言葉を尽くして説明しようとしてしまったのがよくなかったのであろう。
なので、
次の作戦は、
相手が欲しいと思う情報を相手に先に言わせることだ。
先回りはほどほどでいい。
前回の資料には、すべての情報が詰め込まれていたことが問題らしい。
そこから欲しい情報自分が欲しい情報をとっていってくれるという期待もあったが、、
そうは世の中行かない。とにかくみんな生き急いでいて、一言でわかるようにしてあげると、皆生き急げるんだ。
なんか、嫌味な言い方だな。
入社一ヶ月、新しい組織の作法を学んでいる。
作法を自分で考える必要のある会社はある意味でいい会社だ。
すべての作法がていぎされていたら、合理的すぎて、熱もくそも無くなってしまうであろう。
今いる組織には可能性がある。
事業構想を外に出すまでは、
それぞれの決済者にあった作法をかんがえつづけたい。