ゴールデンウィークは、まず前半は嫁の実家に帰省した。

この時、体調はまずまずだったが、レキソタンごときでは全く眠れず、それがとても苦痛だった。

しかし、嫁の両親には悟られまいと、懸命に無理をしていた。

後半は、前々からちょっと贅沢をしようということで、東京の某高級ホテルを予約しておいた。

1泊2日の小旅行である。

しかし、この旅行中は絶不調。

水族館やお台場に行ったりしたが、食欲もだんだん無くなり、体はキツくなり、そして、せっかくの高級ホテルでは一睡も出来なかった。

このときの脈拍は130/minに達していた。

もはや限界だった。

帰宅して、ネットで色々調べてみると、頻脈はアモキサンの副作用としては割りと珍しくないものであることが分かった。

(kyupin先生のブログと出会ったのもこの頃である)


僕は、ゴールデンウィークが明けて、部署を異動したが、仕事よりもまずクリニックへ駆け込んだ。

しかし、医師は副作用については否定し、体がきついときにはレキソタン1mgを飲むようにと言われた。

この時初めて気がついた。

この医師はヤブだということを。


僕は、セカンドオピニオンを求めて、会社の近くの、開業したばかりの心療内科に駆け込んだ。

案の定、頻脈はアモキサンの副作用だと言われた。

そして、不眠に対してレキソタンが処方されていることに驚かれた。

処方はこのように変更した。

アモキサン25mg

デプロメール25mg

レキソタン2mg

マイスリー5mg

コンスタン0.6mg


3日も経つと、頻脈は嘘のように消え去った。

何故か倦怠感も消失した。

夜も完全とはいえなかったが、それなりに眠れるようになった。

僕は、今までの体調不良は全てアモキサンのせいだと思った。

そして、アモキサンさえ無くしてしまえば、全てが解決すると勘違いをしてしまった。


翌週、クリニックを訪れると、僕は早速アモキサンの断薬をお願いした。

医師も、50mg→25mgの減薬で、特に離脱も無く、むしろ体調が改善しているので、これはいけると思ったらしい。

要求どおり、アモキサンは断薬となった。

レキソタンも不用であろうということで、カットした。

ただ、睡眠が完全ではなかったので、マイスリーを10mgに変更した。

デプロメール50mg

マイスリー10mg

コンスタン0.6mg


その後3日は好調を維持していた。

しかし、4日目から、アモキサンの離脱症状であろう、妙な焦燥感が出始めた。

この離脱症状については過去に取り上げている。(参照 )


それ以降、僕の心身は急降下した。

不眠・倦怠感・焦燥感・不安感・抑うつ・食欲不振、そして希死念慮。

6月の上旬、僕はもう廃人になっていた。

そして、それまで表向き取り繕っていた体裁も、遂に保てなくなってしまった。


僕は、何故か医師の前でも具合の悪さを見せまいと思っていて、当初は平静を保っていたが、ここに来て、もうそれどころではなくなってしまった。

医師は、僕の状態が尋常ではないと判断し、効き目の弱いデプロメールをジェイゾロフトに変更し、ドグマチールも追加、その他も多少いじって、このような処方にした。

ジェイゾロフト100mg

ドグマチール100mg

アモキサン25mg

マイスリー10mg

レンドルミン0.25mg

コンスタン1.2mg

デパス0.5mg(頓服)

タケプロン30mg

そして、診断書を書いて、明日にも休職して、しばらく安静するように言った。

7月には、有休を使い切り、長期休職に入った。


そこから現在までの回復過程は、今まで書いてきたとおりである。


例の報告書にコメントを書いた所属長は、現在は何事も無かったかのように、隣の部署の部長になっているのだが、12/27にエントリで、

「忘年会で、心の古傷を再度開くようなメに遭った為だ。」

と、書いたのは、この部長の忘年会での発言によるものだった。


僕は、うつが悪化して以降、うつ病になったのは自分のせいだ、と思っていた。

こんなにも容態が悪化したのは、うつ病を利用して罪から逃れようとしたことへの天罰なのだとも思っていた。

そして、引き金があのコメントであったことは分かっていたが、僕は所属長を極力恨まないようにしていた。

恨みからは何も生まれない。

だから、所属長がとなりの部署の部長に就任したときも、極力平静を保って、緩やかな関係維持に努めた。


それなのに。

彼は忘年会で半笑いで僕にこう言った。

「こいつは仕事が全然出来ない。最初は出来るやつかなーって思ったけど、全然ダメだった。お前、もっと勉強しろ」

完全に酔っ払ってはいたが、これは間違いなく、彼の本心だろう。

いや、酔っていたからこそ、そうだと確信した。

つまり、彼には、僕のうつ病の原因が自分にあるとは微塵も思っていないし、責任も感じていないのだ。

発病のときの上司であったにも関わらず。


僕はこの瞬間に強い衝撃を受け、今まで心の内に抑えてきた恨みや他罰的な意識が一気に爆発してしまった。

それでもその感情は、帰宅するまでは表に出さないでいたが、嫁の顔を見た途端、一気に怒りが爆発してしまった。

延々と愚痴を言い、文句を言い、翌日にはうつ転して起き上がれなかった。

2008年がもう少しで終わろうとしていたその寸前に、僕の塞がりかかっていた心の傷は、再度こじ開けられてしまったのだ。


さすがに、1日寝込んだら、なんとか平常に戻ったが、どうにも感情は抑えきれず、こうやって4日もかけて、延々と愚痴にも近いことを書き綴っている。

全く自分が愚かしい。

が、これがきっかけで、過去の自分と対峙できたようにも感じられる。

書くことによって、何か分かった気もする。


今年も残すところあと1日。

怒りがどうにか収まった僕は、改めて考え直した。

やはり、恨みからは何も生まれない。

大晦日と正月で、自分の心を祓い、雪ぎ、もう一度心を、脳を整理整頓して、2009年を迎えたい。

来年の目標は、とにもかくにも、寛解である。


(おわり)