年内に書くつもりでいた今年一年の総決算エントリは、僕の脳内閣僚会議の末、年明けに先送りすることとなった。

第2次補正予算の可決と同じ頃になるのではないでしょうか(笑)


まあ、それというのも、軽くうつ転気味のところへ、昨日の忘年会で、心の古傷を再度開くようなメに遭った為だ。


せっかくなので、封印していた僕がうつ病になった経緯をここでまとめておこうと思う。



僕は、今の会社に6年前に転職したのだが、当時の会社は人的にかなり余裕が無く、入社したての僕に、大した研修もせずにいきなり仕事を引き継ぎさせられた。

女性の係長が、2週間後に異動するので、それまでに彼女の仕事を全部引き継げというのだ。

正直、これは非常にきつかった。

何も分からないままあちこちに連れて行かれて、方々で挨拶を繰り返し、そして2週間後からは問い合わせの電話やFAX、メールが殺到。

しかし、入社したての僕は何がなんだか分からずに、ものすごく時間をかけて仕事をしていたのだが、それでも追いつかずに、未処理のまま消え去った仕事が何件も発生した。


一応「指導社員」というものが存在したが、彼は大きなプロジェクトにかかりきりで、ほとんど社にはいなかったので、ロクな指導をしてもらえなかった。

で、その代わりに、僕の所属長が指導をしてくれたのだが、その人が今時絶滅危惧種かと思うくらいに怖い人で、暴力は無かったものの、理不尽な罵声を散々浴びせかけられた。

そんな状態なので、仕事は増える一方なのに、上司にに聞くのは恐ろしくてそれも出来ず、手探りで仕事をし続けていた。

ただ、そんな過酷な状況の中でも、部長がかなりの人格者で、所属長の暴走を抑えつつ、僕をあれこれと支えてくれたので、僕はすっかりその人を尊敬してしまい、なんとか会社は辞めずに踏みとどまれた。


しかし、仕事は減らずに増え続け、そして手がつかないまま消滅している状況は変わらない。

当然、消滅した分は得意先の不満となって蓄積されていた。

それでも僕は、消滅している仕事以上の物件をかき集めて、年々売上を伸ばしていた。

さらに、これは僕の特徴でもあるのだが、数千万単位の大きな仕事を毎年受注していた。

当然、そういう特別な仕事を持ってきてしまうと、経常の仕事は疎かになるのだが、僕は全体で増えていれば文句が無かろうと思い、そのまま仕事をし続けた。

この僕の姿勢には、部長も所属長も文句が無かったらしく、特に何も言わなかった。


やがて4年が経ち、部長は定年、所属長は異動となった。

ここで僕の状況は一変する。

部長の座は例外的に空位のままとなり、所属長だけが他から異動してきたのだが、この人事が後に僕の精神に大きな傷を負わせることとなる。


4年目。

新しい所属長の下、仕事を続けていたのだが、この年はどういうわけか数千万どころか億を超えるような仕事も受注していたため、目の回るような忙しさだった。

さすがに僕も疲れてきて、

「このままじゃ僕も仕事も、どうにかなっちゃいますよ」

と、常々愚痴るようになった。

しかし、新しい所属長は気にも留めず、僕は膨大な仕事量を抱えたままの状態が続いた。

そしてその陰で、ある得意先では僕に対する不満がどんどん蓄積されていた。


4年目をほぼなんとか切り抜け、大きなプロジェクトも一通り終えた僕は、次の春に結婚することとなった。

仕事はひと段落したが、今度は私生活が忙しくなってきた。

でも、これは全然苦にならなく、むしろ楽しかった。


ところが、である。

ここでとんでもないハプニングが発生した。

年度末に中堅社員が一人、退職したのである。

彼は超大手の得意先1箇所を担当していた。

相手が超大手だけに、その担当は、その得意先専属にならなければ到底手に負えないのだが、彼の穴を埋める人間がいなかった。

そして、ここで毎年大型物件を受注し、全体の売上も堅実に伸ばしていた僕に白羽の矢が立った。

所属長は、春には人を補充するから、2ヶ月間、この得意先の担当をして欲しいと言う。


ここから、僕の仕事は2人分になった。

しかも春には結婚式を控えていて、休日も準備で忙殺されていた。

何がなんだか分からなかった。


分からないまま、2ヶ月が過ぎた。

その間も、別の得意先では僕に対する不満がくすぶり続けていた。


(つづく)