ミツバチの羽音と地球の回転

ミツバチの羽音と地球の回転

世界と対話し、人とつながる。果てしない日常を面白く活きるために。

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出来事が起こったとき、
その真ん中に私はいるかな。
と思う。

当事者として、真ん中で回る意識があるだろうかって。

自分の人生に直に接続して、歩いて行くことは、シンプルに考えれば単純なことなのに、日和ったり、見失ったり、よくするんだ。

それも良い、OK。

周りを支えてくれるみんなへ、感謝しながら、人生を沢山味わうことは、すんごく良くて、エキサイティングで。

なんていうか、
何が起きてもブレないのと、
何が起きてもしゃんとして、
逃げずに向き合い、
自立しながら、
歩いていこうと思う。

ふにゃっとなったら、
しゃんとして、
しゃんとなったら、
またふにゃる。

いい、リズムになってきたな。
「生きていることを喜ぼう。

生きていることで、何かを愛し、

働き、星を見上げることが、できるじゃないか」


あるブータン人のFacebookの言葉。


人は、生きているだけで、何かをすることができる。

生きているから、困難も、幸福もあり、

泣いたり、笑ったりできるんだ。


人は、どこまでも死に向かっているから、

生きていることができるんだと、

脳科学者の茂木さんの本にもあったけれど、

私も、他の人も、この世界に存在して、

生きているという現象は、

ものすごい奇跡なんだと思うんだ。


大変なことも、楽しいことも、

人生を通して、すべてを経験するために、生きているんだ。


必死になっても、ならなくても、

「生きてることに、おめでとう」と言いたい。


七夕の今夜はあいにくの雨で、

天の川を見上げることはできないけれど、

生きてることを、お祝いしてみようかな。
わたしの人生は、

あなたの人生じゃない

あなたの人生は、

わたしの人生じゃない

そんなことは

わかりきってるのにさ

まだ、抜けきれないよな

私が私であること

私の在り方を紡ぐこと

それ以外に

気をとられることは

全然ないよね

突き抜けるための

一歩は、常に

高い場所にあるから。
向き合うとは、どういう行為だろうか。

自己啓発とか
自己肯定とか
ポジティブシンキングとか

いつも上がっているわけじゃない自分自信に無理やり前向き栄養剤を流し込むような行為を繰り返していくと、

嫌な自分
ダメな自分
無価値な自分

が見えた瞬間に、
今まで築き上げてきた自信やら虚栄心やらが崩れて消えてしまうのだと思う。

実績(数値化された事実)があったとしても
そこに執着した瞬間にそれは過去の栄光に浸る行為。

何者にも、執着せず
何者にも、翻弄されず
何者にも、縛られない

孤立ではなく、
本当の意味での自立。

ブレない自分を探す旅。

そういう生き方を模索中。





私はいつも思うのだけど、


難しい言葉を知らなくても

人と本質的な心の交流を行うことができたら、それでいい。

ただし、相手が望まないならそんなことはしない。

合わない鍵では摩擦を生むし、扉は開かない。

今、必要ないタイミングなら、相手の鍵穴に合う鍵を渡してみる。

それが、TPOに合う行動をするとか、「臨機応変」の本来の意味だと感じるんだ。

鍵の種類を増やしていく。それがその人の人間性や幅の深さや器の大きさみたいなものだと思う。



ダメな自分を愛してみよう。

認めて、赦して、委ねて。

弱さから再出発してみよう。

新しい世界の扉の前で。

扉を開けるのは私自身だ。
裏切られたり

裏切ったり

信じたり

思い込んだり

情熱を燃やしたり

様々にエネルギーが沸き立つ現象を引き起こしている。

その感情を早く味わって(焦らずとも)

あらゆることを本音で話して

正直な自分に戻ろう。

1も0も-1も
笑い飛ばせる自分に。

そこは、無理やり創れない。

なるようにしか
ならない。

責任を持つと覚悟するだけで、
人は、ささいな枠から解き放たれる。

不安定からの
発想の方が
うまくいくし
適応性が高い。


今までは、親の解釈。

その次は、親に変わる解釈。

それらを求めて
生きてきた自分に
さようなら。


自分にしかない、21年間に。

ありがとう。と、
ごめんなさい、を。

許し、赦す。

次へのステップを踏み出す一歩を。

そうやって、
自由と責任の日々を
味わいながら
楽しんでいこうか。