コップの水理論というのがある。コップに水が半分入っている状態を見て、「もう半分しか残っていない」と思うのか、「まだ半分も残っている」と思うのかという話。経済学者のドラッカーが唱えたと言う説もある。“もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)“のドラッカーだ。ちなみに、最近“もしトラ”という似たような言葉も耳にするが、こちらは米国大統領選挙の話か阪神タイガースの話。

 

コップの水理論、一般的にはコップの水が「もう半分しか無い」と失ってしまったものの方に目をむけるとどうしてもネガティブな気持ちになるが、今残っているものの方に目を向けて「まだ半分も残っている」と思うことによってポジティブな気持ちになる。だから何かを考えたり、行動するときには「もう無い」と捉えるより「まだある」と捉えた方が良い結果をもたらすと言うものだが、どうもケースバイケースのような気がする。

 

 

例えば、子供の頃の夏休みの宿題。夏休みが半分くらい過ぎた頃、「夏休みはまだ半分も残っている」と思うと、私ならきっと遊び回る。夏休みが終わりに近づいて「もう数日しか残っていない」と気付いて、ようやく観念して宿題に取り組む。時には「まだある」と思うことは問題を先送りにし、「もう無い」と気付くことが行動の原動力になる。

 

私の食道がんが見つかった時には既にステージⅣa。統計的には余命(生存期間中央値)は1年半から2年程度、5年生存率は20%程度。「まだある」と思っていた人生が突然「もう無い」かも知れないと気づかされた。

 

人によっては生存率20%の方に目を向ける。ゼロでは無いので「まだある」と思う人もいるだろうが、当時の私には5年後は「もう無い」としか考えられなかった。「まだある」のは余命とされる2年ほどの時間。

 

治療の合間に遺言書の作成や断捨離などのいわゆる終活を始めた。原動力となったのは「もう無い」という意識だ。今の内に行っておかないといけないこと、行っておきたいことなどのTODOリストを作り、期限と優先度を付けてこなして行くことが目標になった。

 

時に感傷的になることもあったが、決して長い間落ち込むようなことは無かった。むしろ、行うべき明確な目標があり、毎日が貴重に思え、少しテンションが高い日時を過ごしていたような気がする。

 

その後いろいろあったが、ある日「完全奏効(CR)です、がんが消えました」と言われた。正直ホッとして力が抜けた。それまで自分がどれだけ気を張り詰めて暮らしていたのかと気付いた。その後暫くは反動でテンションが下がり、ボーっとしている時間が増えた。一種の燃え尽き症候群のようなものだったと思う。

 

その後、原発食道がんの再発こそしていないが、下咽頭に2ヶ所、食道に1ヶ所の異時性多重がんが見つかっている。その度に「もう無い」と「まだある」を繰り返しているが、慣れてきたのか心の振幅は段々小さくなってきた。

 

がんは治療終了後5年がひとつの目処と言われるが、その半分の約2年半が過ぎた。「もう半分」過ぎたが「まだ半分」ある。今後、一体どうなるものやら…

 

 

(蛇足)

4月からのNHK朝ドラは「トラに翼」だという。“もしトラ“に翼があったなら、きっとこんな感じ(↓)で空を飛ぶ。