あたしはずっと不自由なところで生きてきたんだなー。ってまたまた改めて気が付いた。
世間の目を気にして、
いや、母の目を気にして、
やりたいことも、
「自信がない」
と言い訳して、逃げ続けていた。
認めてもらいたい、とずっと思っていたし。
現実をもっとフラットによく見てごらん。
出来たことを一つ一つ数えてごらん。
数えて一つ一つ認めて、自分で褒めてあげな。
なかったことにしないで、
よくやってきたやん。
頑張ってできたやん。
そうやって自分を抱きしめてあげなよ。
↑
↑
と、不登校の息子にかけた言葉を今自分でかみしめるという・・。
まだまだあたし、自分のこと認めてないことたくさんあったな。
厳しくしてきたとこあったな。
それくらいできて当たり前、とおしりぺんぺんしてきたとこあるなー。
誰かに言われたその言葉を鵜吞みにしてしまって、自分を認めることを忘れてしまったんだ。
「誰かあたしのことを認めて」
「誰かあたしのこと頑張ってるね、って抱きしめて」
って思ってた。
あたしはずっとあたしに言ってたのに。
誰か、を求めてた。
ずっと気づかずに。
それがわかって、気が付いた。
人は勘違いしている。
まだまだだめだ!
と自分に叱咤激励する方向が間違っている。
自分がやりたいことをやったら最大限に認めてやる。
それが成功するとか、失敗するとか、結果がどうかの問題ではない。
どんな思いでやったのか、
どんな自分で在りたい、と思ったからなのか。
それをできたのだから、最大限の賛辞を自分に贈る。
自分に厳しくすべき時もある。
それは、思った成果が出なくて、努力が足りない、~がない、という時じゃない。
「どうでもいいこと」で自分を満たそうとした時。
「望まない事」だとわかっているのに自分にそれを課した時。
「誰かの目を気にして、やりたいことをやらなかった時」
そんな自分にとって大切でないもので自分の中をいっぱいにしたり、自分の時間を使ったりしたことに気が付いた時は、もっと自分に厳しくしたらいいんだと思う。
「そうじゃないでしょ」
「大切なことがあるでしょう」
という心の声を大切に、本当に自分がやりたいことをやるために。
「大切なものを厳選する」という厳しい目は必要。
誰かにとって、じゃなく、
自分にとって大切なもの。
あなただけの思いです。
それが出来た時は最大限の称賛をあなたに。
それを繰り返せば自分の世界は「大切なもの」だらけになっている。