あたしはもっともっと自由に生きる、と決めて、
決めたら、いろんなことが自由になって、
あたしの思考ひとつひとつが不自由だっただけだと気が付いて、解放して、芋づる式にいろんなことから自由になった。
いろんなことや場面もフラッシュバックして、あの時の不自由さ、生きづらさ全部あったから今解放できる。
あの時のあたし、よく頑張った。
ありがとう。
そんな感じ。
スパークして、疲れて、眠い。
自分がいっぱいいっぱいで、
辛くてしんどい時は、
本当に人のことなんてどーでもいい。
誰かの期待に応える余裕なくて当たり前だし、
人でなしになっていいんだよ。
今、自分のことで精いっぱいなんだ、と認めればいい。
自分を否定したり、
責めたり、
厳しくしたり、
なかったことにしない。
ただ、それだけしない、と決める。
そう、決める。
傷つきやすくて、心が弱くて、
「そんな弱くてどうするん?」
「そんなんやったらこれから生きて行かれへんで」
「もう何も話し出来へんやん。」
「もっとなにくそ思って頑張りなさい」
と言われて、
あたしは弱いんだ、と思った。
傷つくあたしが悪いんだ、と思った。
どうしたらいいんだろう?
もっと鈍感に、
もっと感じる力がなかったらよかったのに。
小学生の時から思ってた。
そんな気持ちが原点だった。
今も
「心が弱い」
という言葉にすごく反応する自分がいる。
でも、今ならもうわかる。
弱いんじゃない。
強さもいらない。
ただ、そんな自分が悪い、と責めていただけ。
見方が偏っているだけ。
自分に厳しかっただけ。
感じる力があるから、気づける。
偏った見方に気付いたら、設定を変更していく。
感じて、
気づいて、
設定を変更する。
より自由に、
より豊かになっていく一番近くにいる感受性の豊かな人たち。
私たちは素晴らしいギフトを初めからもらっていた。
自分を否定したり、
責めたり、
厳しくしたり、
なかったことにしない。
ただ、それだけしない、と決める。
そう、決める。
あの時、そう教えてくれる人がいたらあたしはどんなに救われただろう。
おまたせ、あたし。
いや、ホントは、
「心が弱い」
と不登校の息子のことを母が言って、それに反応したあたしは今書いたようなことを母に言ったわけ。
小学生の時から今までホントは母に言いたかった、
「心が弱いんじゃない。あたしらしいんだ」
という言葉を、夢を、今のあたしが叶えてる。
ちゃんと言えたんだ、あたし。
「心が弱い」を乗り越えたんだ。
すると、
もっと自由に、
もっとありのままの自分で力強く生きていくんだ。
とまた内側から答えがくる。
決めて、行動していくとまた、こうやって
「どうしたいのか?」
が内側からやってくる。
ただそれを自分で叶えていく。
アイスコーヒーとコーヒーゼリー
ダブルコーヒー