わたし、最近モテ期きてまして
放課後デイに来てる子どもたちやスタッフにも
「可愛くて大好き」
と言われておりますうふ
でね、
そう言ってくれたスタッフとのLINEやりとりで、
「○○ちゃんが顔も声もカワイイって言ってた」
「サバサバしてて優しくて、私も大好き」
と言ってくれたので、
「モテ期キターーーー」
と返したら、
「昔からでしょ」
ときたので、
昔からなわけあるかーーーーい
と自分でツッこんだ。
昔からなわけがないの。
最近モテ期がキタとしたら、私が本当に私らしく生き始めたからからだと思うから。
どんな感情もとり逃がしたりせずにちゃんと観てきた。
自分を大切にするってのは、
自分は自分が思うほどにいい人でなかった、
実はメッチャイケずだった、とか
腹黒い自分が山ほどあったことに気付いて、そんな自分でもいいか、と思えることなんじゃないかと思う。
イジわるしたくなるほどハラ立つわあ、とか
あいつキライだわ、とか
そんなこと言われて黙ってるわけねえだろ、とか
じゃんじゃん思うたびに、よし!とガッツポーズする。
そういうの、言っちゃいけない、思っちゃいけない、と思考で感情をすり替えてきたから。
思考が強かったの。
問題解決がとても好きだったから、理論的に明確な答えで
「こうすればいいんだよ」
って納得しようとしてた。
人に愚痴を言うのも聞くのもキライだった。
「グチグチいったって何の解決にもならないのに。もっと理性的にこうすればいいのに」
って思ってた。
冷たいヤツ。
↑
冷たいヤツ、ってのは自分の子宮の声に寄り添えない冷たいヤツなの。冷えるよね体も。
今は愚痴言うのも必要だよな、って思う。
「出せ出せ、どんどん吐き出せ」
って今なら推奨する。
感情を思いっきり感じて、吐き出した後じゃないと
「じゃあ、どうしたいの?」
という本音がでないって体感としてわかったから。
で、さ。
私はどんどんいい人じゃなくなって、悪態つくし、ハラ立てて、怒る。
と、どんどん私はサバサバした優しい人になるんです。
だって、
いい人じゃなくて、
悪態ついたり、
文句言ったり、
グチグチ言ったり
ハラ立てて怒る人に理論で抑えようとしなくなるから。
「そーだよね」
「わかるよー」
「いいんじゃないー?そう思っても。」
「大丈夫だよ。」
「悪くないと思うよー」
「間違ってないよー」
って言葉が次々出る。
自分の子宮の声に優しく出来れば、現実世界でも
「優しい」
と言われたり、優しくされる出来事が増えるよね、当然。
子宮の声に優しく、ってのは、世間一般の優しさじゃなく、真っ黒くろな自分さえも受け入れるということ。
自分の腹黒さを認めたら、人に隠すことも、取り繕うこともなく、自分らしく生きられるのだから、一緒にいる人もラクなんじゃないのかな。