先日、
この人いじめたいって思っていいんだ
という衝撃的な←(私にとっては大事件)許容をした私。
ハートはわかってくれるとそれ以上は求めてこない。
冷静に視野を広く自分を見つめることが出来た。
人は変わらない。
コントロールできない。
というのは、ハートの声を満たしたらよくわかる。
知識で、
「目の前の出来事はダミーで、人はコントロールできない」
ということを知っていて、自分に納得させようとしても無理なんだわ。
目の前の出来事はダミー、
人はコントロールできない、
目の前の出来事と戦わない、
だから自分が変われば人は変わる。
全部真実だ。
ハートの声をちゃんと聴いたなら、という条件付きなんだ、とみんな知らない。
くやしかったらくやしい、
憎かったら憎い、
を思い切りやればいい。
その時はしんどいけど、
「もう、いっか」
という時が来るし、
ハートが何をわかってほしがっているのか、にだけ耳を傾けながら相手を責めたかったら責めればいいんじゃないかなあ。
私もみんなもまだまだ自分に厳しい。
たくさんの無意識の許せないを抱えている。
目の前の腹が立つ人を受け入れられた時、
ダメでも、
何にもできなくても、
努力できなくても、
ブラックなことがいっぱいあっても、
それでも私は許される存在なんだ
受け容れられる存在なんだ
という自分に許可を出した時なんです。
相手の凹が許せるということは、自分の凹もまた誰からも受け入れられるということ。
私はいつも許されている。
私はいつも受け入れられている。
だから、自信をもってやりたいことをやっていけばいい。
そう確信できた出来事となりました。