先日、療育の見学に来られたIさんは、おじいさんが子どもの特性を理解してくれず、ご主人も最近までわかってくれてなかったのだとか。
身近なご家族に理解されないというのは、辛いことなんだろうな、と思います。
この子たちは決して
「困った子」なのではなく
「困っている子」なんだから。
「そのことが、私も最近やっとわかるようになりました。私も叩いたり、叱ったりしてきましたから。」
Iさんは私の話にうなずきながら話してくれました。
お母さんやご家族がこの子の特性を受け入れ理解するまでにかかった年数は、この子がこの世のルールを理解するのに戸惑い、混乱しながら歩いてきた年数と同じだということ。
困っているだけなのに、叱られたり、叩かれたりした心の傷は、お母さんの理解できずに叩いてしまった後悔ときっと同じくらいなんだよね。
でも!
新しい時代を、新しい生き方を示してくれている子どもたちのことを、心配するんじゃなく、困っていることにはその都度対処しながら見守っていければいいなあ、と思います。
心配って、心が「今」にない時におこるもの。
グラウンディングをして今に帰ってきてね。
今見えているもの、今感じていること、今触れているもの。
それが全てなんだから。
心がザワツクのは、その子を通してあなたの中にある心配の種の居場所を教えてくれているだけだから、ダミーに騙されずに自分を見つめるといいですね。
そうそう、
困ったことがあると、
「困っているから助けて」
「困っているから教えて」
って誰かに訊くじゃない?
親のその行動は子どもたちが何かに困ったときのお手本になるんだから、親が積極的にできるといいなあ、と思います。
「ご迷惑かけてすみません」ではなく、
「助かったあありがとう」
って笑顔で言っている親を見たら、子どもはきっと人を信頼して、安心して頼れる子になると思うよ。
頭を下げられない親には、頭を下げざるを得ない状況を、
誰にも頼れない親は、誰かに頼らざるを得ない状況を、
子どもからプレゼントされるんだよね。
磨かれて成長していく。
親子ってすごいわあ。
子どもって本当にすごいわあ。