岡田くんの映画公開にあわせて、テレビの露出が増えてニヤニヤする
岡田くんが好きだなあ。
そんな「好き」は人によって違うし、なんで「好き」か理由がない。
自分の中の「好き」感覚は自分だけのもので、それに理由がないのだよね。
誰かが好きで、誰かがキライ。
キライには理由があるけど、好きには理由がない。
いや、キライにも理由がない。
誰かを好きになるのはあなたの自由だし、
誰かを嫌うにも理由がなくていいし、あなたの自由。
とはいっても、ガチで交流のある人にキライというのは悪くて言えない、と思っちゃう。
集まりに、行きたくないと言えなくて、
しょうがないね、と言われる言い訳をしてみたり。
行きたくないと思うなんて、悪い気がする。
何がそんなに嫌なの?
心が狭い~。
もしかしたら新しい出会いがあるかもしれないし・・・。
そんな葛藤、
こんなザワザワワサワサを感じて、しんどーい。
それならいっそ行くって決めた方が、
ワサワサしなくて済むんなら、
その方がいいんじゃないか?
なんて思考も沸く。
いやだー
逃げたいー
こんな、感情見たくないー。
終わってみたら、フツーだった。
咎められることもなく、
当日会いたいと思えたら行けばいいと思ったけど、そんな気も起らなくて。
私の本当の気持ちを優先できたんだな。
ワサワサを感じたら抜けて、
終わったら、
行っても行かなくても、別にどっちでもよかった、と思う。
ワサワサ感じた割には、
大した出来事でもなかった、と事の小ささにびっくりする。
案外、すごい出来事なんてないのかも。
本当に心からキライな人なんていない、ということを知っているからだと思うんだけど。
会いたくないから、会いません、と言わなかったけど、
でも、それでいいと思うんだ。
私はあなたがキライです。
だから、あなたと会いたくないので行きません。
と、わざわざ言うことの方が成熟していない気がする。
私はあなたが「今」キライだから、「今」会いたくなくて行かないよね。
うん、そうしようね。
と自分がわかっていればいい。
キライは永遠じゃなく、常に気持ちは変わっていくものだもの。
建前のある人がキライで、私は誠実に生きたい、とずっと思ってたけど、
「今」の自分の気持ちに誠実であればいい。
好きになるのに理由はないし、
理由なしにキライになる。
私がそうなら、みんなそう。
私にそれを許せたら、他の人の自由も許せる。
キライになられるのは悲しいけど、
そこに理由がないのなら、しかたないね。
そしてそれは、いつの日かひっくり返るかもしれない儚く不確かな感情
自分の許可が出るたびに、
他の人を受け入れる範囲が広がっていくのが面白くてたまらない。
合わない人はいても、
キライな人は居なくなるんじゃなかろうか。
感情はうつろう。
うつろうから「今」湧く一瞬の感情はどれもステキ
12月10日公開ですよ
「今」の岡田好きに浸ろうっと