この話は、明治時代にあった実話である。
愛知県の渥美郡(現在の田原市の田原警察署)に、江崎邦助という巡査がいた。
生まれは、三重県鳥羽地方。
23歳で愛知県警に入り、三河地方の岡崎に配属された。
そこで、彼は上司であった巡査の取り持つ縁で、近隣の額田郡桑谷村から「平岩じう」という19の娘を嫁にもらった。明治19年、邦助、25歳のときであった。
結婚して間もない邦助は、移動命令から、渥半島の豊橋警察署田原分署に赴任してきたのであった。
じうの実家、平岩家から、コレラ流行のため、田原勤務は、やめないかといわれた邦助。
反対意見に、邦助は、私は警察官だからと、説き伏せて、妻と赴任してきたのだった。
明治19年の春
当時、大阪でコレラが流行していた。
コレラは、別名コロリと呼ばれ、感染して死亡に至るまでほぼ三日という短期間のため、そう呼ばれた。
大阪から端を発したコレラは、6月になると愛知県の愛知郡(現在の西三河と東三河地方)、知多郡、渥美郡と呼ばれた三つの郡で被害が急速に拡大していった。その死者は862名にも及んだ。
ある日、渥美半島の先端に近い小さな村、堀切村で、コレラに感染した疑いの者が出た。
江崎巡査は医師を伴い、堀切村へと向かった。
当時、明治時代の警察官は、現在の警察官の仕事ばかりでなく、保健所や防疫の仕事も兼ねていたのだ。
明治、日本が文明開化したとはいえ、一般の人々には、まだ教育は、広く普及しておらず知識に乏しく、コレラの被害の拡大を防ぐには、至らなかった。
当時、ひとたび感染すれば確実に死に至る。被害を食い止めるには、誰かが行かねばならなかった。知らないで感染したら免れぬほどの被害が出るのは確実。
江崎巡査は、妻じうと、一緒になってまだ半年。
その妻を残し、任地の堀切村へと赴いていった。
堀切村に着いた江崎巡査達は、村人から強行な反対に会う。
コレラの詳しい知識も皆無な当時、根拠のない噂だけが人々の中を流れ、村人は、ただただ恐れを抱くだけで、どうしてよいかわからなかったのだ。
コレラなんかじゃないから帰れと、竹やりで威嚇され、石をぶつけられたりと激しい抵抗にあう江崎巡査達。
だが江崎巡査は、妨害にあいながらも村人に、大声を張り上げたり、脅したりといった事は、せず、三日三晩眠りもせず、ただただ、一生懸命、コレラの被害を防ぐため、話を辛抱強く村人に続けた。
やがて、その懸命さに打たれた村人は、巡査たちを村に入れるのだった。
すぐに、村人に対し、健康診断を実施、外来者や通行人には着ている服が濡れるほど消毒液を掛けたり、出来る事を不眠不休で、働き続けた。
当時、手のうち用がなければ、放置するしかなく、近づけないように隔離するしかない。
中には、泣く泣く感染した家族から、離された者もいただろう。
江崎巡査達は、被害の拡大を防ぐために、これ以上感染者を出さないように、村内を駆け回ったに違いない。
ようやく一段落し、任務先から帰る江崎巡査に異変が襲った。
江崎巡査は、コレラに感染していた。感染の症状が出たのだ。激しい痙攣や、身体の異常が、江崎巡査を襲った。
同行していた医師が、人力車を呼び、帰りをいそいだが、人力車に乗り続ける事も困難となり、車夫に、村での報告書を、田原警察署に届けてくれるように頼んだ。
車夫から事情を聞いた田原警察署の署員は、所長をはじめ、関係者は、江崎巡査のいる場所へと向かった。
その中には妻じうの姿も。
心配し、来てくれた人々に、
江崎巡査は、叫んだ。
「私に近づくな!感染するぞ。」
心配して来てくれた人びとに叫んだ。
皆が江崎巡査を田原の町へ移送をしようとしたが、江崎巡査は、これを拒んだ。
江崎巡査は、自分の為に、町にコレラを持ち込めば人心不安になる。町とはいえど、コレラ患者を隔離する施設など当時はなかった。
また、自分は人々を守る警察官であり、その職責から、自分の命と引き換えに、このコレラを、自分の中で押さえ込む。と覚悟を決めて拒んだ。
夫の邦助に近づいて来る妻の姿を邦助は見た。
邦助は、言った。
妻じうに「来るな。」と。
妻じうは、いった。
「私は、たとえ死んでもおそばを離れません。」と。
松林の中の朽ちかけた小屋があり、皆が、江崎巡査をその小屋に運び込んだ。
小屋の中に運び終わると、妻じうは、皆に言った。
「私が看病しますから、皆様は、おかえりください。」
と、皆を、説得し帰らせた。
そして、一人小屋にのこり、コレラに苦しむ夫の看病を続けた。
翌日、明治19年6月23日
午後2時、江崎邦助巡査、殉職。
25歳の生涯を閉じる。
そして、夫邦助を看取った妻じうも、19歳の短い生涯を閉じたのだった。
二人は、蔵王山権現墓地に静かに眠っている。
この二人の犠牲により、救われた田原町の人々は以後、毎年二人を偲び、町と警察署で慰霊祭がおこなわれている。
小学校では、この尊い犠牲を忘れぬように、毎年、田原市立衣笠小学生では、11月の学芸会でこの劇を演じている。
我が身を呈して、街を救おうとした江崎邦助巡査。
コレラに感染した夫を最後まで支え看取った妻じう。
ごくごく短い結婚生活でありながら、二人は幸せであったのだろう。
職責、職務を完うするということは、いま日本や日本人に問われている事ではないのだろうか?
誰かが、やってくれる。
俺一人ぐらい。
重大さを、認識していないから、うやむやとなり、あとあと大変な事態を招く事になるのかも知れない。
参考文献
・伝えたいふるさとの100話
・ウィキペディア 江崎邦助
・ほんとうに泣ける話15
「風よ、風よ・・・」より