> 至るところで分断が起き、無意識かつ悪意不在の差別的発言の多さに、立ちすくみます。詩人の故石垣りんさんは「言葉には、誰かを傷つける言葉と闘う役目もある」という話をしてくださった。私は闘う言葉も、傷を覆って治癒を目指すような言葉も使えたらと願っています。
> 一方で「我こそ正義」という運動体が持ちがちな主張は、ともすると誰かを疲れさせる。私も時々使っているかも。違う価値観の人々にこびるでも、すり寄るでも、攻撃するでもなく、心に響く言葉で語りかけたい。相手の言葉にも耳を傾けて。人と人、時代と空気を結びつける言葉を学びたいんです。
(人生の贈りもの)わたしの半生 作家・落合恵子:12 より
言葉は、「僕が使う言葉」ではないものもあるのですね。
どういう意味かというと、
ことばには、
「私語りの言葉」以外の言葉
「私主観の言葉」以外の言葉
があるということ。
「悪意はなく、事実だ」という言葉
「私たちが正しい」という言葉 もある。
(「私」ではなくて「私たち」という言い方をして、自分一人で「立って」発言しない)
それらは、落合さんが書かれているように、「疲れさせる」。
傷つくし、気持ちを萎えさせるけれど、消耗させられ、疲れさせられる、
の言葉が適している。
落合さんの言葉のままだけれど、
> 闘う言葉も、傷を覆って治癒を目指すような言葉
> 人と人、時代と空気を結びつける言葉
(リンク先より引用)
これらを使えるようになりたい。