お腹が減っている人に何ができるか?
・魚をあげる。
・魚の釣り方を教える。
・釣ってから食べるまでを見せる。
ほかには、
山本五十六さんのことばに、
「やってみせ、言って聞かせて、 させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず。」
がありますから、
・道具を使わせてみて、ほめる。
もあるかな。
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僕は人が悪いのか、視線がクールすぎるのかわかりませんが、このようにも考えました。
人って、結構したたかで、たくましいもので、ほんとうにお腹が減ったら何とかします。
そこから先にどの生き方をするかは、個人が仏教の「六道」のどれを選ぶかかな、と思います。
選択肢と、そのための仕組みの例をいくつか示してあげれば十分です。
※「六道」:ほかの宗教でも同じものがあるはず。
参考までに、Wikipediaより
天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)
つまり、人から奪ったり、争ったり、食べられないものも何でも口に入れるもので身体を保つために結局必要な食べ物を口にできなかったり、といったりしたこと。
ここでは、これらのどれを選ぶかは、その人が選択肢を知っていて、行動できる仕組みをつくっているかどうかだと書いた。
仏教的には、生まれながらにしてカテゴライズされていて、修行によって上がっていける、もしくは解脱できると述べられているが、僕は、その瞬間にその人が意識的、無意識的にどれを選ぶか、だと考えます。
その上で、
人って、良くも悪くもたくましいものだから、人はその力を出せばいいだけだと考えています。
ただその場合、社会の進歩をもう一度繰り返さないといけないかもしれませんが。それはそれで仕方がない。
個人の本能をそれぞれが直視して、
それをベースにして社会をスタートさせる方が、
よりしっかりした社会になる、と思うんだな。
同じことだが、こんな考えを伝えてくださった方もいた。
「DNAを刺激して持ってる力を呼び起こしたい」
ただこの場合、
「DNAの持てる力」が、われわれの想像をはるかに超えるものだった場合に、
善悪の前にハイパワーすぎて制御しようとすることすら無意味であることもある。
すべて力が発揮されたときのDNAの力がどの程度か、
そのうちどの程度が発揮されるか。
どちらも、予測も制御もできないと思うんだな。
でもこれは議論することではなく、
覚悟して受け入れるしかできない、
それしか今の状況を変えられないのかもしれない、とも思う。