> 「まア、ヒトのことやさかい、かめへんようなものの」
> 田辺聖子
(折々のことば 選・鷲田清一)
こんなことをいうのは、「かめへん(かまわへん=どうでもいい)」と思っていない証拠。
おせっかいも、まあ大事。
知ってる人でも知らん人でも他人に関心があって、関わっていこうということだから。
見えたままを伝えるというのはいい。
たいがいはそこで終わらずに、
「正誤」
の判断から行動をアドバイス、というか指示、命令しちゃうんだが。
鷲田さんのコメント欄
> 「煙草(たばこ)ぐらい、ゆっくり吸わしたれや」。「自分の現状が我ながらあわれで、人に頼んでやってるような口吻(くちぶり)」になるのだという。
これは、自分のことをまるで他人のことかのように話す「話しぶり」。
僕もよくやるなあ。
自分のことについて、
「放っといてくれ」だときつい。
「放っといたれや」だと、何か言いたそうな人の気持ちも汲みつつ、
その人の仲間の立場で「そっとしておいてやろう」
という語調で伝えられる。
(これって、関西弁だけれど、どの地域のことばかなあ。
大阪の街中のような気がする。)