「自分の言葉では、まだ語れない」というしかない体験 | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

> 「第二のふるさと」「宝物」といった言葉を使うのに抵抗がある。
> 「まだ、八坂での経験を消化し切れていないから」。
> 成長していくにつれ、自分の中の「山村留学」を見つけていく。そんな風にいまは思う。
 (いま子どもたちは)都会っ子、山村へ:7 本当の価値、大人になり気づいた
 より
 (改行を挿入)

「山村留学」についての連載記事。

教育って、
「知らないことを知った」
「覚えた」
というものだけではない。
そういう分野の
受験勉強だったり、勉強が遅れている子の塾は、
目的がわかりやすくていい。
生徒にとっても親にとっても。

でも、記事にあるように、
「自分の言葉では、まだ語れない」
という体験を提供するのも、学校や塾。
だからといって、イベント的にキャンプや映画に連れ出すのも違う。
日常生活にするのが大事。

大人も子供も、周りに合わせて適当にふるまって、体面を保てるのはせいぜい1週間くらいか。
それくらいなら、我慢ができる。

でも、それからさらにずっと、日常になり、
その環境で生きていくには、
覚悟も必要だし、
自分の心の内を知り、
吐き出して、
自然や大人や友達などいろいろなものに向き合わなければならない。
誤解して、決めつけてしまうこともあるけれど、
決めつけてしまったことを溶かしていくのも自分の役目だと気づく。

その経験は、一言では言えない。
ありがちな言葉では表現できないと思う。
それは、その環境から離れた後で振り返ると、
気づくこともいっぱいあるし、
いくつになっても次々と気づきが生まれてくる。
だから、ますます言葉にできない。

教育は、こういうものを提供しなきゃいけないと思うし、
少なくとも僕は、ロボット教室の中でこのような体験をしてもらいたいと思っている。

その時、先生の側ですべて設計しても、その通りにいくはずがない。
あらゆる可能性を考えて、
緩やかなセーフティネットを張っておくくらい。

だって、子供たちは危ないことをするものだし、
予想を裏切るくらいに
「それはすごいね」
と感想を言うしかないことを仕上げてくることもある。

絶対に危険なことはやめるようお願いして境界を示したうえで、
できるだけ能力や発想の制限をしない振る舞いを心がけるだけ。

だから、基本的なことを教えることはあっても、そんなに教えることはない。
大人も子供も、
間違ったところを指摘されてうれしく思うことはほとんどない。
「手間が減った」
「失敗しないように教えてくれ」
と、依存心を強めたり、手間を嫌うだけになる。
そこに『学び』はない。
最初に記した「気づき」は、『学び』の前段階。

「気づき」から『学び』にするのを、
慣れないうちにサポートするのが大人の役目。
でも、大人が急かすと、はかなく壊れてしまう。
難しい。

けれど、
「まだあの体験を消化しきれていない」
そんな思いを持ったことを敬意を持って眺め、
大切に見守りたい。