> われわれのそばを通り抜けてください、そしてわれわれの幸福を許してください!
> ドストエフスキー
(折々のことば 選・鷲田清一)
「他人の不幸」が、
「友人の不幸」であるか、
「(エリートから見て)非エリートの不幸」であるか、
または、「(他国の)国を動かすレベルの人の不幸」であるか、
「(他国の)もしかすると参政権もないくらいの国民の不幸」であるかによって違う。
その上で、「他人の不幸を悼む」のと「自分が不幸になる」のは
まったく別の方向の話。
自分の幸福が、エリートの子供として
税金などの社会制度として国民から搾り取ったものを無尽蔵に受け取った結果であるならば、
まず真実を知った方がいいだろう。
おそらく金銭的に恵まれ、法律面でも守られたドストエフスキーのいう「幸福」と
僕の言う「幸福」が同じものではないだろうが、
「幸福」は誰のもとへもやってくる。
シミジミと感じる「幸福」は、どこにでもある。
その「幸福」は、誰かに否定されるものではない。
許してもらうようなものでもない。
信心するものが違う人の感覚はわからないが。