> 街のショーウインドーの品物を歴史博物館の陳列品と同列に見るのである。
> 今(こん)和次郎
(折々のことば 選・鷲田清一)
関東大震災から後の復興時のヒトビトの様子を記録されていたというのは、とてもありがたい話。
建物までは記録に残しても、
人の姿は「当たり前」なので流れて消えていく。
覚えているつもりで、いつごろまでどうだったかなんて、全く覚えていない。
覚えていても、それは証拠がない。
まるでほかの国から来たような、ほかの星から来たような
そんな思いで観察して記録に残すことが大切。
考古学とか、時代考証というのは、こんな面倒なことを楽し気にやる人のおかげでできる。
「当たり前」は目に入らないから、関心が向かないんだよなあ。
街の建物が建て替わって、前どんな建物だったのか、思い出せないように。