より。
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教師は(高校教師だけでなく予備校教師もまた) 分からない学生に分かってもらおうと努力する。そしてどれだけ分かってくれたかをテストする。
だが、森毅さんの考える数学の入試問題は、その受験生がどれほど「分からない」を「分かった」に変えられるか、その力をテストするのである。
あるいは完全には分かりきらないのがふつうのことであるから、その分かりきらないところをなんとかヤリクリして筋道を見つけていく、その力をテストする。
(上記書籍より引用)
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大学は、「分かりきらないところをなんとかヤリクリして筋道を見つけていく」ところ 。
だからこそ、
大学は、「何とかヤリクリして筋道を見つけたい」
と思うテーマのところに行かないと、お金も時間ももったいないと思うのだ。
でも、そういう「もったいない」と思う
『無駄遣い』をするからこそ、
発見したり気づいたりすることもできるので、
『無駄遣い』は『無駄じゃない』ともいえるのだけれどね。
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適切なカリキュラムを組んでくれて、
効率的に学べるようにしてくれる
ところなんてどこにもない。
自分の才能がどこにあり、
何を身につけなきゃならないかなんて、
自分にしかわからない。
少し言い方を変えると、
自分が本当に求めているものは自分にしかわからないし、
「本当に求めている」と求めに出かけていくのも自分だけなんだ。
そうやって、
自分が「学ぶ」、「学び取る」しかない。