「受験数学」と「大学数学(または数学研究)」の違いは大きい | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

哲学な日々 考えさせない時代に抗し 野矢 茂樹


より。


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(森毅先生は)「高校数学」と「受験数学」と「大学数学」を区別する。

(上記書籍より引用)
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確かに違うものです。

僕にとっては、

「高校物理」と「受験物理」と「大学物理」

で、本当にそうだなあと思います。

「大学物理」は、「研究する物理」です。
誰かが解ける程度で点数付けをするための
「高校物理」と「受験物理」ではなく、

『自分で設問しなきゃならない問題』を解決するための物理

ですから。

これがわかっていたら、物理学科には行かなかったかも。
でも、ほかで大学の試験に受かるとも思えなかったので、物理学科に行ってから考えたかも。

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でも、人のことは笑えないのです。

ロボット教室の先生をしていると、

   「ロボットをつくりたい」

と生徒は集まってくるけれど、それは

   「ロボットを造りたい」

であって、

   「ロボットを創りたい」

ではないんです。
たまに、

   「ロボットを創りたい。だから教えて」

という生徒もいますが、
使っている言葉の意味をわかっているのかなあ。

小学生、中学生に望んでもいけないような気もするし。

でも、
植松努さんの言葉じゃないけれど、

「ロボットを作りたいと思ったら、
 誰かに教えてもらう、と考える前に、
 自分で作り始めているものです。」

という生徒もいます。

そういう生徒には、「申し訳ない」。
そういう彼らに教える知識や技術はありません。
(カリキュラムの中で、間違いなく体験してもらうための知識や技術はあるけれど・・・)

でも、そういう彼らが、

   『だからこそ、僕らがロボットを創る場をつくって』

と言ってきたら、受けて立つしかないなあ、と思うのです。

コーチは、

   「自分のことを棚に上げる」ことが得意な人たち

とも言えます。
自分のことは棚に上げて、彼らの創造の場をつくることは可能です。

どう?
僕のところに来ますか?