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2月15日は、国府宮はだか祭りでした。

一度行ってみたい祭りの一つです。

数日前、国際芸術協会の総裁の伊藤三春先生から、裸祭りに日に特別な招きがあるから一緒に行きませんか?

驚くような誘いの話しが私の耳に届きました。

「是非、行きたいです。」いつでしたでしょう?

明後日の予定です。

え!時間は何時頃から何時頃までですか?

昼頃から3時頃まで掛かると思いますよ!

すみません、その日は「ガイアの夜明け」の取材の打ち合わせが入っている日です。

残念ながら、滅多に無いチャンスの誘いをとんでもない大物からの誘いの電話を苦渋の思いでお断することになった。

来年改めて誘って頂けるという情けを分けて頂いて電話を切る事になった。

さすがに、「ガイアの夜明け」の番組の位置づけは、事業を行なっているものであれば、取材の片隅にでも出られることが、夢の夢のような話でもあるだけでなく、

その有名製作会社から注目を受ける事は、今後の可能性に大きな岐路にも立ちかねないような奇跡的なことでるとも聞かされていた内容でもあった。

結局、よりにもよっての国府宮の裸祭りの特別な招きという大チャンスではあったが、「ガイアの夜明け」の打ち合わせを変更と言うわけにも行かない事情があった。

国府宮神社方向に頭が向くように身体を動かして、店の神棚越しに国府宮神社に向かい、近日で向かせて頂く約束をさせて頂いた。

それにしても、貴重なお誘いを本当にありがとうございました。


 

昨日、ある人物が名古屋のタクシーに乗り、名東区名東本通5-40にある店までお願いしますと伝えると、
そのタクシードライバーが突然、お客様に
「取材ですか?」
「図星のドライバーの受け答えに、とてもびっくりしました。」
と言われて笑って店に入って来られました。

「よほど取材が多いのですか?」

ついに、今回の取材で20ヶ月連続の取材となっていた。
全国放送は、当社の経営者の片桐健二をテーマにした内容と、コレコーレを取り上げたものをあわせてNHK様で3回の放映されているだけであったが、


地元では、各マスコミで取材の種が困るとコレコーレに何か面白い種はないですか?というような問い合わせがきっかけになったりして、次々と取材が連続で続き、
とても知名度が上がってきているようです。

そのような状況で、マスコミの取材には、小心者の私も余り動じないようになって来れたのでしたが、今回の全国放送の取材の内容は、とても驚いた内容でした。

その理由は、余りにも大物の製作会社からの取材要請だったことが原因です。

昨年は、

金田哲(はんにゃ)川島章良(はんにゃ)小杉竜一(ブラックマヨネーズ)吉田敬(ブラックマヨネーズ坂 東英治(タレント)金子貴俊(タレント)熊田曜子(タレント)石田靖(吉本興業)谷田部俊(我が家)杉山裕之(我が家)坪倉由幸(我が家)佐藤満春(どきどきキャンプ)岸 学(どきどきキャンプ)中村豪(やるせなす)ギャル曾根(フードファイター・タレント)コカドケンタロウ(ロッチ)・中岡創一(ロッ チ)など)ひとみちゃん(芸人)石田安奈(SKE48)赤枝里里奈(SKE48)澤朋宏(アナウンサー)天野良春(キャスター)石井亮次(アナウンサー)野田英里(アナウンサー)etc

など、芸人さんやタレントさんを中心とした芸人の物々交換体験のような内容の取材が多かった。

しかし、昨年末の日経新聞での取材がきっかけになってからマスコミの取材視点が多きく変化してきていました。

その製作会社が扱う番組は、どれも超一流な番組のドキュメントが多く各テレビ局からも太鼓判の評価を得ている製作会社との説明をマスコミに詳しい方から聞いていました。

おもいっきりテレビ ・ スーパーテレビ 情報最前線 真相報道!バンキシャ ・ ザ・ワイド ・ NEWS リアルタイム・世界バリバリ・バリュー・スーパーJチャンネル・交通警察密着24時・ダヴィンチの予言 ・テレビ東京・たけしの誰でもピカソ・火曜イチン!・ モーニングサテライト・カンブリア宮殿・ガイアの夜明け・世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARSなど、
上げたらきりが無いほどの名番組ばかりを手がけている製作会社の方でした。

店を見て頂き、是非、取材クルーの予定を立てたいのでスケジュールを打ち合わせできますか?


にわかに信じ難いような返事でした。

店を見回ってから1時間ほどのインタビューを行なっているうちに、すでにどのように取材するか方向性が頭の中に浮かんでいる様子でした。

1時間番組の人気のドキュメント番組ということで、万一大掛かりな内容に発展するようであれば今回は辞退をお願いした方が良いだろうという考えもありましたが、状況を察してくれたシナリオを提案いただくことが出来た。

そのような内容であれば、何とか非力ながらも対応できるだろうと、お願いすることになった。
さて、どのような番組になるのか???

?本物とは何かを総括してみます。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1669057525&owner_id=2236149

 

「本物」とは何かを書き始める動機となったマイミクとのリアル会話からから?まで改めて読み返してみて整理できてきた事があります。


>「本当よい物や優れて過ぎた物は、売れない。」
>「市場から迎合されるもので、さも本物ように演出させる本物まがいが良く売れる」

>極論を言えば作者の物作りの動機から見れば、
>お金のために心を鬼にして、
>まがい物(疑物)を作る事に徹する事が出来ればよく売れるが、
>究極の本物を探求すればするほどに市場のニーズからかけ離れていくことになり売れなくなる。

>そんなことはない、本物は必ず売れるし、
>売れているものはいいものである事の方が多いという話題でバトルになった経緯から、
>本物とは何かという話 題に発展し、
>さらに「本物」を定義してから
>私の130日の話題の私の持論を説明しようという事になったのですが、
>考えれば考えるほどに、「本物」という ものの本質を深める事は容易ではないことに気づき出した。


「本物」を総括する為に、昨日の日記にコメント頂いたイチデさんの「本物査定の判断基準」を私なりにまとめてみようと思います。



1、「本物」という文字の語源にかなうような思考に裏づけされているクオリティーのあるもの。


 (「物に中心がある」という「中心」の解釈を、創作を行なう意味の質の高さとその意味を表現するに相応しい熟成との整合性が取れた物と解しています。)



2、「本物の原理原則」の条件を満たしているもの。

(遍く通ずる価値を持ったもので、「遍く通ずる(アマネクツウズル)」の条件は、時代価値、世代価値、文化価値、を超越して、選眼力識別力さえ備われば通用する)という原則論に成立する物。



3、「本物」の特性は、外観的、表層的現象だけの上面の整合性よりも、創作物の本質性における役割の質の高さや、使命の質の高さに対して普遍性の整合性においても充分な力を発揮できているもの。



4、宇宙のバランス法則や宇宙の必然性法則との整合性、命の継承との整合性において合目的化する力が備わる可能性を物の特性の中心に創作魂として持っているもの。



5、「本物」とは、商いという貨幣交換価値との整合性でも無ければ、企業の企てや、企てからの洗脳成果との整合性に迎合するものでなく、それぞれの時代変化において必然的に沸きあがる創造力が新たな時代への必然的な整合性を求めて進化適合させていく普遍の創造力魂を継承しているもの。




私が考える「本物」を総括すると、


「本物が持つもっとも重大な役割は、過ちを正す力を持っていることだと考えています。」


「商品」という金を得る目的の効率を異常なまでに探求し続ける為に、それぞれに企てられたアイデアを背景に企画品として製品化されることに麻痺されてしまう人間の愚かさを正す力を具体的に啓示する役割を持ちえるような質や力を持っているもの。


「作品」と言うひとりよがりな趣味、嗜好のマスターベーション的な創造の入り口に立つ創作活動に対して、本物とは、様々に機能干渉する必然性との整合性との差異を具体的に啓示する役割を持ちえるような質や力を持っているもの。

要するに、人間のそれぞれの時代の愚かさを照らし出してくれるような「明」という明かりの力を持ったものだと考えています。

人間が創作を行なう時、何らかの企てを持って創作したのか?
それとも、あるがままの感性としての必然性をエネルギーとして創作しようとしたのであって企てが先にありきではないものであったのか?

したがって、最初に私がビジネスのアドバイスとして劇薬的な説明を行なった内容の私が意図したことは、

商売である以上はあらゆるものは、企てが動機になってしまう宿命を自覚する事が大切であると言う事である。

テレビなどのマスコミ例にしても様々な人の言葉尻を捕まえては、さも証拠のようにして一部分のやり取りをさもそのインタビューの言質のように構成するためには、常に企てが必要になる。

企てなくして、構成を行なう事はテレビと言う限りある制限の中で物理的に不可能な事である。

それを私は真実だけを伝えていると言い切るのは、ナンセンスな事である。

マスコミの企てには、地球全体へのリスクを負担しているという理解を行なう事がマスコミの影響力や感化力、洗脳力、教育力という成果の大きさから考えれば必然的なことです。
その企ての動機に私利私欲をどこまで排除できるか、私憤(個人的な憤りや私欲)を排除し、「公憤」(公的な憤りや社会幸福への憤り)を背景とした企てが事業特性の役割において常に求められ続けれます。

しかし、現実は、私利私欲の視聴率と、私利私欲の企てのスポンサーとの狭間での「公憤の公正な維持」という役割果たせずにいますが、
どのような言い訳盾にしようとも事業特性の役割の重さから考えれば使命を真っ当にしなければならない責任があるはずなのです。

企業も本来は、社会から経営資源(人・金・物・心・情報)を縁があって預かれた意味を経営の中心に堅持する責任があるはずです。

個人においても、社会から自身を育てさせて頂けたということは、やはり個人としての生きる資源を(人の出会い、知の交わり、生存への環境提供、向上心啓蒙の情報など)多くの社会資源に育てられ、育て続けていく最も重要な役割が自己の中心に存在させ続ける責任があります。

自身を育ててくれた親から子供へ継承させたことは、そこに言葉としての適切さや、わかりやすさがあったかどうかはわかりませんが

又、行動も適切であったかどうかも不明ですが

どの親の中心にあったはずの思考の源は、誰しもが社会に生かされてきた悦びを学び、社会へ還元していく責務に使命を見い出し続けることで子孫を健やかに継承できる原則です。
そのことは、人間の根源的で排除できない魂と一体化している条理とも言えるものだと私は考えています。

前の日記のコメントのレスに私が書いた「親」の漢字の語源が「わが身に刃物を立ててでも子供を見守る責任が存在していることを語源にしている意味」も「知性」を食物連鎖の頂点の武器として与えられ、地球そのものの運命を変えてしまう脅威への人間自身への戒めの言葉なのかもしれません。

それらを考えてみると、テクニックとして企てが商売の方策としての力を持ちえるからと言って、企てにおぼれる事は、企てに自滅すると言うことであり、常に「本物」という羅針盤の修正能力を自己の中心に保ち続けていくバランスの上にこそ真の存続の可能性を生み出すものとなり得るという考えです。

「企業」と言うアメリカ的な言葉をビジネスから人類が捨てて、

「実業に生きる」

「生業に生きる」

そのような「本物」の経営者をいかにして目指すかが、ビジネスを行なうものの心構えであろうと言う意図を伝えたかったんですが、ずいぶんと誤解させる言い方だったようです。


総括には、まだ言葉足らず誤解を与えそうですが、本物に対する本質論は変わらないだろうと感じています。

1、事業を行なうものとして、もっとも肝に銘じなければいけないことは、まず人間としての責務に気がつく事が大切になります。
何よりも自身そのものが社会から育てられている存在である認識を持つこと。育てられてきた事への還元の使命を必ずもって生まれている事であり、何らかの役割を担っていることへの強い自覚が大切であること。
その役割や使命の本質への気づきを得るために、本物が持つ本質性に学びを求めようと努力し続ける事。

2、事業を行なう経営者責任として、その会社に集められる全ての経営資源(人・金・物・情報・心)は、誰のものでもなく事業を通じて社会へ還元す る目的において預かっているものであると言う認識を持ち全従業員に周知する責任があり、その責任を果たす為に自社が集める経営資源の特性や、その資源の特性を加工して社会に提供するものが持ちえる役割や使命を通じた事業を行なう責務を認識し、啓蒙する努めがあります。

3、経営者として従業員に支払う事業収益の配分は、ただ、金銭に置き換えられる給与というものだけでなく、事業を通じた知の向上という金銭評価しがたい給与。人脈への信頼関係の構築という給与。社会に貢献していると言う自負。などを含めた報酬をバランスよく支払う責務を理解する勤めが求められます。

それらの経営資源を自社の創意工夫で加工して収益を生み出す行為の師となるものも「本物」の持つ本来の本質性から学びを求めようと努力し続ける事でさ「企て」に依存することなく、必然性として集められる経営資源の上に事業をなす事が可能になるという事を伝えれられればと考えていました。


しかしながらこのような「実業」の経営アイデンティティーを確固たる者している人物は、非常に少なくなり続けているのも現実で、その現実が虚業となる企てに奔走し続けているのも事実です。

その中で、このたび私のような未熟者の老齢者に、質問の機会を頂いた時、その志への道は険しくても伝えるべき責任は、あるのであろうと考えています。

洋食器の最高峰ヘレンドの国内入荷1点物を始め多くのコレクションをネットでも紹介することになった。

http://storeuser4.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/core_collection?alocale=0jp&apg=1&s1=bids&o1=a&mode=2

当店の顧客の中でも指折りのコレクターから貴重なコレクションを多数を預からせて頂いており、来店者に限定して販売してきたが、今回は、店以外の販売手段としてためしにネットでも買えるようにする事になった。

 

当店に品物を出して頂けるコレクターの中でも別格扱いになっている事があることは、

なかなか信じ難い事かもしれないが出品自身を一切素手で触っていないというのである。

 

最初聞いた時は、余り信じられなかったが自宅に伺って理由が良く理解できた。

コレクションは、全て2点購入しており1点は使用する為のものであり、もう1点はコレクションとしての保管用であり、何らかの理由で取り出すときは、必ず白い手袋を使用するのである。

この状態は、販売しているヘレンドの本店でもありえないような徹底ぶりでとても驚くと同時に、最初に聞いた話の信憑性に納得できた瞬間でもあった。

 

大量の作品なので全てが上がってからリンクを貼る事にします。

ヘレンドHerend,Herendi pocelánygyár)は、陶磁器製のディナーウェア、人形、ホームアクセサリーをデザイン・生産・販売しているハンガリーの企業、及び商品ブランド

 
 

 


 

1826年に、ハンガリーの首都ブダペストから遠くないヘレンド村に、ショプロン出身のヴィンツェンツ・シュティングル(Vinzenz Stingl, またはシュティングル・ヴィンツェ・フェレンツ StinglVince Ferenc)により創業。以前から焼き物の盛んだったこの地帯は、16世紀からマヨルカ陶器の産地としても知られているが、シュティングルの掘っ立て小屋の様な会社はそんな恐れ多いものとはほど遠かった。

掘っ立て小屋経営から抜け出したのは、1839年にタタTata)出身のフィッシェル・モーリツ(またはフィッシェル・モール、モーリッツ・フィッシャー,Moritz Fischer, Fischer Mór(ic))が経営の手綱を握ってから。そのころはマイセン中国産(今で言う骨董品)の高級陶磁器の修復会社であった。

ヘレンドの名声を世に知らしめたのは、サルディニアの 王が中国から持ち帰った陶磁器の食器セットの内、破損してしまったものの複製をヘレンドへ持ち込んだ事件がきっかけとなったからだ。一年近く実験を繰り返し、フィッシャーは破損した食器の複製に成功した。しかし、心配性の彼は言うなれば「偽物」である自分の作品に自信がなかったので、王に彼自ら作品を見せ たいと願い出た。

トリノの城に着いたフィッシャーは、 本物の中国製陶磁器をテーブルに並べ、自分の作品は棚にしまった。王や従者たちが部屋に入ると、早速「偽物」の批評が始まり、ここがいけない、あそこが違うと批判した。しかし、フィッシャーが真実を明かすと、一本取られた王は素直に受け入れ、王を騙せるほどの作品を作ったフィッシャーを賞賛した。

この逸話とヘレンドの名が広まるとともに、フィッシャーは新しく自社製品のデザインを次々に世に送り出した。1851年のロンドン万国博覧会ではヴィクトリア女王ウィンザー城のためにヘレンドに注文を入れた。中国風の絵柄に蝶の舞うデザインは一般にも販売され、「クイーン・ヴィクトリア」シリーズとして大変流行した。それからというもの、ヨーロッパ貴族の間でヘレンドの作品はブランドとして広まった。

1853年にはアメリカのニューヨーク産業展示会へ出展。フィッシャーは1866年にはハンガリー産業への貢献を認められ、貴族モーリッツ=フィッシャー・フォン・ファルカシュハージ(MoritzFischer von Farkasházy, Farkasházi Fischer Mór)として称号を与えられた。1897年に、孫のイェネー(Jenő)が経営を受け継ぎ、ヘレンドの名は世界的に広まり続けた。

1926年にイェネーが他界してからは、アンドラーシュ伯爵(Count András)とエステルハージ・モーリツ伯爵(Count Móric Eszterházy)が経営。ヘレンドは開発施設等を新装するも、伝統を重んじ、ハイクォリティーの手作り陶磁器を作り続けている。

ヘレンドでは過ぎ越しセデル用のプレートも作っている。

引用
 ウィキペディア

身体払い」の交換が作り上げた物々交換コレコーレと、片桐健二の誕生日。

 

 

誕生日メッセージありがとうございます。

あまりにも濃密で心こもった誕生日メッセージと、皆様から寄せられた「アラ還」という初老へのイタワリの言葉にも深く感謝しております。

ただ、出来るだけ丁寧なコメントをお返しできるようにしたいと、日々念頭に置いていることから、一旦、今日の日記でメッセージの返礼をかねての日記をまずは残そうと考え日記に致しました。

近日に、時間をかけて一人一人にお礼のメッセージ返しをさせて頂く無礼をご容赦下さい。

今回、特に丁寧な内容のメセージが多かった理由として、「アラ還」というキーワードがあったのかも知れません。

還暦は、来年なので通称の「アラ還」の呼ばれ方は、とりあえず年内はセーフというように理解していて、今年は50歳台最後の歳を満喫しようとも考えていました。

すると丁度誕生日にお越し頂いた、日頃、暇な時間などができると、コレコーレに来店しては店頭にあるボディーをディスプレーを交換して行ってくれる元ダナキャランのコーディネイターの経験もある女性にいとも簡単に突き放されました。

コレコーレでは、物と物の交換だけでなく、「身体払い交換」という裏技もあったりします。

「身体払い交換」という裏技は、何か物を持ってきて交換するのでなく、身一つで来店して頂き、能力や労務と交換の謝礼に品物を持っていけるという 裏技で、コレコーレに必要な特別な能力を持っている様々な能力者の中から、これはという素晴らしい力量を持っている人物にお願いしてきているのです。

よく、そんなに少ないスタッフであれほど大きな店を切り盛りできるね?と言って驚かれるのですが、実は、裏技の「身体払い交換」の貢献による部分が非常に大きいわけです。

それぞれが、それぞれのスペシャリストの本業に匹敵する以上の力を持ていてとても有効なアドバイスや店作りへの貢献をし続けてくれているのです。

良く前日の店のあるコーナーが翌日にはごろりと変化する事を手品のように不思議がる常連さんもいますが、実はそのようなトリックがあるのです。

「還暦をさっさと認めなさいよ!」と突き放してきた、その女性は、非凡な能力からテレビにもモデルやスタイリストとしても出ている側面があるほど勝気な面がある事から、表面上の言葉には、一切いたわりがあるようには見えません。
しかし、いわゆる「ツンデレ」タイプのようで、スタッフなど皆がいない時には、意外と優しい面を見せてくれる美しい才女でもあります。

いわゆる容姿がお洒落向きな女性ですが、とても頭の良い女性で、一言、一言が冴えたアドバスが飛び出してくる事やコレコーレ向きの意外性を創造するコーディネイトが上手なことから、「身体払い」のメンバーになってくれた一人です。

もちろん、身体払いは、美しい女性だけでなく、老若男女、骨董の目利きやら、本のスペシャリスト、洋書スペシャリスト、店のカテゴリーごとの「身 体払い」の方が欲しいという目標がコレコーレにあるくらい、教授からアーチスト、エディターなど多岐に渡る方々にお願いしながら学びの機会を広げているの です。

物々交換のポイントが不足ぎみで、お金でその不足分を支払おうというお客様の中に、コレコーレが欲しがっている能力者で、時間の余暇を作れそうな 可能性があるお客様が居ると、怪しげな私なんぞが、常連さんの耳元で「現金ではなく(身体払い)などで不足分をお支払い頂けませんか?」などと囁くので す。

いまのところ、この囁きの特権は、私だけの物になっているのですが 

大半の常連様は、怪しげな初老のオヤジのこの言葉に、「え!身体払い・・??」という反応で私を大きな目で見返します。

すると、その後の話を深く理解してくれるきっかけになって割りと重宝していたのですが、さて、コレコーレのスタッフ達にこの囁きを引き継いで貰おうと思うと難しいものがあります。

コレコーレのスタッフは女性が多いので、女性がこの言葉を言うと、反応が強すぎて、初老独特のムードは出せないわけです。
そこも今後の課題で、「身体払い」の変わりになるスタッフ向けの言葉を考えなければいけないとも考えています。

前置きが長くなりましたが、その身体払い特権の「ツンデレ才女」がめでたいはずの誕生日の私に 

「あら!アラウンドは前後を示す言葉だから、もう立派に「アラ還」でございますのよ!」

という優しくありがたい言葉を投げ掛けて頂きました。

「あ!そう!??」

「アラ還ですか?」

女性は、三十路と言う言葉に強く反応しますが、男性は「還暦」と言う言葉に強く反応するという言葉を思い出しました。

ツンデレの才女からアラ還は、還暦前後の年齢を示している言葉ですよ!

要するに、「あなたはもう還暦なのよ!」という言葉を、いざ投げかけられてみると、

頭の中には、「還暦・還暦・還暦・還暦・還暦・還暦・還暦・還暦‥‥

男の節目の言葉として、様々な思いが走馬灯のように走り抜けてきます。

還暦までに達成したかった目標がいくつも達成できていません。

あまりにも多くの宿題を残してきたことを、その才女の「ツンデレ」の優しさは戒めてくれたようです。

そんな心持で、今回皆様からお寄せ頂いた誕生日への言葉への返答をあれこれと考え出すと、悔いが残る50歳代最後の節目でした。

今まで、コレコーレをスタッフに譲る事ばかりに自身が囚われすぎて、自身としてやり遂げなくてはならない事をないがしろにする言い訳にしてきた自身にも今一度、気づかされました。

最初からコレコーレは、学びの道場のような場所として創業させた経緯がある中で、いつか役目を果たしたら、「コレコーレという店自体を交換に出せるほどの価値に作り上げたい」という目標がありましたが、まだまだまったく及んでいません。

私にとって交換して頂ける相手は、私が育ててきたコレコーレのスタッフになるのか?

私とスタッフが共に次のステップの登る為に、誰かにコレコーレという店と交換しませんかという投げ掛けをするようになるのか?

私の亡き後、コレコーレのスタッフが、その初心を貫いて、誰かに「コレコーレという店を交換しませんか?」と、堂々と言える店を作ろうとしていくのか?

どのようになるのかは、まだ、私にも答えが分かりませんが、昨年毎月のようにテレビや各マスコミに取材や放映を繰り返して頂いた意味が形となる1年に、還暦を正式に迎える事が出来る懸命な一年にしなければいけないと猛省させて頂くチャンスを頂きました。

そのような時に、多くの方々から意味深いメッセージをありがとうございました。
心より感謝申し上げます。