1ヶ月以上ぶりの更新です( ̄∀ ̄)


本日は東日本大震災があった日ですね。

記録程度に当時のことを振り返って見ます。
私も被災者の一人でした。
今は結婚したーくん、しずさまと暮らしておりますが
当時はまだ実家暮らしで隣市のお菓子工場に勤めていました。
その日は確か残業予定だったかな?
でも運が良く定時で終われる仕事に回されていて違う部署で作業をしていました。
金曜日だし土日と二連休だったので
夜からたーくん家に行って、明日はいちご狩りに遠出しらいなー♡
なんて考えながら仕事していました。
2:50から3時休憩だったのでちらっと時計を見た時は2:45。
あとちょっとおねがい
なんて思ってたら突然の大地震です。

簡単に動くわけもない大きな機械が揺れ動き
製品が散らばり
電気がチラチラとついたり消えたり‥
ガス!ガス消せ!とにかく頭を守れー!
という男の人たちの大声を聞きつつ揺れが収まるまで耐えていました。

落ち着いたすきに駐車場に出て待機。
余震に怯え上着も着ないままの私たち。
さすがに寒かったです。
でも恐怖で震えていたわたしをおばさん達は
抱きしめてくれていました。
だって津波は絶対来るし家は絶対流されていると思ったから。

私たち沿岸住みは小学校から避難訓練では
地震イコール津波という教育できています。

あんな地震がきて津波が来ないなんて考えられないから!

そして我が家は海の目の前にありました。
二階から海が見えるんです( ̄∀ ̄)
すきだったなぁ。窓を開けると海の匂いがして
眠れない夜はこの匂いに安心感があって。

工場自体は高台なので津波は大丈夫でしたが
下には絶対下がるな!と言われ動けず。
波が引けたということで帰宅を許されたのは
半分くらい。
車で30分かかるわたしの地域はそちらまでの道のり確保されず一晩職場で過ごしました。


翌日
上司に社用車でわたしを含め四人で
行けるところまで!ということで帰りました。

想像以上とはこの事でした。
21年の経験では想像し得ない現状でした。
母は家から10分のところの職場にいただろうし
祖母は90歳。走って逃げるなんて無理。
弟は休暇で帰ってきてはいるもののおそらくパチンコ屋(笑)
父は出稼ぎ中で日本海側にいました。
お父さんと二人なんてちょっときついなぁ(笑)
なんて苦笑するしかなかったです。


端折ってるのに長くなりますねT^T

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