もしかするともう10年以上前にどこかで一度軽くさわりだけ書いた内容だが
当時はまだブログ開始まもなく、アクセス数も読者さんの数も今とまったく
比べ物にならかなったということもあり、あえて多くの人に読んでもらうため、
掘り下げて今もう一回書いてみる。
電車内での席譲り論。
以下、書くことはオレが実際に遭遇したことである。
ケース①座らないおばあさん
ある駅で始発の電車に乗った。
始発なので当然ガラガラで空席もたくさんあるので、適当に座った。
すると、オレのすぐあとに1人のおばあさんが続けて乗り込んできた。
すぐの駅で降りるのか、それともおばあさんなりの健康のためかわからないが
おばあさんは席が空いているにもかかわらず、どこにも座らないどころか
オレのすぐ前に立って吊皮につかまっている。
ちょっと不思議に思いながらも、まあ、座ろうが立とうが人の勝手だしいいか
と思った。そのあとも人がちらちらと乗ってきて、席が半分ほど埋まった。
おばあさんはオレの前に立ったままだ。
やがて電車が出発した。
ひと駅め、ふた駅めと停車するのだが、おばあさんは降りる気配がない。
そのうちお客さんがどんどん乗ってきて、席はさらに埋まってきた。
数駅目でオレの両隣の含めて車両の席がすべて埋まった。
おばあさんはまだ降りず、オレの前に立ったままである。
そして次の駅に到着。
ドアが開き、新しく乗り込んできた乗客の人が目にした光景が想像できるだろうか。
満席の車両の中で、目の前に老人がいるのに席を譲らずじっと座っている男が
いる風景である。突き刺さる視線の軽蔑ビーム。
「違うんだ!オレの前にいるおばあさんは、始発でガラガラだったときから
乗っていたんだけど、最初から好んで立っていたんだ!」
と、新しく乗ってきた乗客ひとりひとりの説明したかったほどである。
みなさん、オレはなにか悪い事をしただろうか?
また、こんなときオレはどうすればいいのだろうか?
ケース②太ったおばさん
ある駅で電車に乗った。
ふたりぶんの席が空いていたのでそこのひとつに座った。
数駅めで、おばあさんとおばさんの間くらいの女性がひとり乗ってきたのだが
これがまた世界びっくり人間大賞にでられるくらい驚くほど太っているのだ。
そのおばさんは例によってなぜかオレの前にきて立った。
オレの隣りはひと席空いているままなのだが、どう計算してもその太った
おばさんはそのひとりぶんの席におさまらないのだ。
おばさんは立っているのが苦しそうである。
シチュエーションがオレを悩ませる。
立って席を譲るべきなのか……。
しかし、オレの隣りはひと席空いているのだ。
普通の人ならば余裕でそこに座れる。
果たして、オレが立って、そのおばさんが座れるだけのふたりぶんの席を
譲る必要があるのだろうか。
本来ならば、ひと席空いていればそれで十分なのである。
(病気で太っている場合もあるかもしれないが、それをいうときりがない
のでここではその考えはのぞく)
正直、このときは譲らなかった気がした。
のちに友人にこの話をしたときも、
「普通だったら、ひと席あれば座れるんだから太っている人のために譲って
ふた席空ける必要はない」
といっていた。
オレのあのときの判断は間違っていたのか、それともあっていたのか。
ケース③ 妊婦かわからない女性
ある電車に乗って空いている席に座った。
やがて席はすべて埋まった。
数駅後、ひとりの女性が乗りこんできて、座っているオレの前に立った。
お腹がちょこっと張っているというか前に膨らんでいる。
「妊婦さんか?」
と思い、席を譲ろうとしたが、顔を見ると、顔も微妙に丸っこいのである。
というか、よく見ると全身的にまるみのある女性なのである。
これは判断が難しい。
「妊婦」なのか「こぶとりの女性」なのか。
妊婦なら100%席を譲るが、妊婦じゃなかった場合、「どうぞ」と席を譲ると
私、妊婦じゃありません!おなかがでているだけです!てな感じでトンでもなく
失礼なことになる。
そういうときは黙って席を立つのが一番という声も聞こえてきそうだが、
黙って立ったところで、目の前の相手は「妊婦と間違えられて席を譲られた」
ということに気づき、心の傷がつくだろう。
あと、わがままいうようだけれども、ケース①②のときも同様に、そんなときは
黙って席を立てばいいといわれそうだが、こちらも疲れているときは席を譲る必要性が
ない限り座っていたいのである。
(とかいいつつ、このときは黙って席をたったような気がした。もしあのときの
女性が妊婦じゃなく、ただのこぶとりの女性だったら逆にショックを受けて
いただろう)
目の前に妊婦なのか、こぶとりの女性なのかわからない人が来た場合
みなさんならどうするだろうか?
以上3点。
これからまた遭遇するかもしれない電車の中での出来事。