ほんこんさんの言うとおり | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

ちょっと前の「水曜日のダウンタウン」で、お笑い芸人ミキの昴生が

ほんこんさん(蔵野孝洋)とのエピソードを話していた。

 

ほんこんさんに「おざす!」と挨拶したら、

「『おざす!』じゃなくて『おはようございます』といえ!」

と叱られたという話だった。

 

ほんこんさんは別に好きでも嫌いでもないが、この話を聞いた

ときは、「うん、ほんこんさんのいうとおりだなあ」と思った。

 

そういえば、最近は「ありがとうございます」を縮めて

「あざーす!」という略語?もよく耳にする。

 

オレの認識している限りではこの言葉の発祥はザキヤマだろう。

 

オレはこの「あざーす!」というお礼もあまり好きじゃない。

 

とかいっても誤解しないでいただきたい。

オレは別にザキヤマも、またザキヤマのセンスも否定するつもりはない。

むしろ逆。ものすごい評価している。

 

ありがとうございますを新しく別の言い方にした表現と、それを芸能界だけ

じゃなく世の中に広く浸透させたことは、さすが天才だなと思う。

 

ただ、勘違いしてはいけないのは、ザキヤマはあくまで、スタジオで

披露するひとつの芸として、「あざーす!」を生み出したんだと思う。

 

たとえば楽屋とかでも、同期や後輩芸人にたいしてはいっているかも

しれないが、大先輩や大物芸能人とか相手にこの「あざーす!」は発していない

と考えられる。

北島三郎とかに楽屋挨拶いったとして、北島三郎に向かって「あざーす!」と

いっているとは到底思えない。

 

やはりザキヤマの「あざーす!」は彼独特の芸人としてのビジネス用であり

またプライベートでは年下や後輩の相手用なのである。たぶんだけど。

 

いうまでもなくザキヤマは頭がいいし、私生活は常識人だと思う。

あざーすはテレビカメラの前用であり、実際の挨拶やお礼はしっかりと

しているだろう。

 

だから、ザキヤマが芸人としてカメラの前でやっている芸を、そっくりそのまま

猿マネで、私生活や職場で、年上の人や目上の人にたいして「あざーす!」と

いっている人間にはどうもズレを感じてならない。

 

それこそ、ほんこんさんが聞いたら、

「『あざーす』じゃなくて、『ありがとうございます』といえ」

というのではないだろうか。

 

いやいや、オレもそこまでオールドタイプの人間じゃないから、別に日本語の

乱れが,どーのこーのとかカタいことはいうつもりはない。

 

たとえば、それが気の知れた仲間うちだったりとか、年下、後輩とかにむけて

「あざーす」というぶんにはいいと思うのだ。

 

だけど、今は相手が自分よりも上か下かわからない初対面の人や、年上の人に

たいしてもフツーに「あざーす」という人間が増殖しているような気もする。

 

どうなんだろ。

オレの感覚が鈍ってきたのか、オレが時代についていっていないだけなのか。

以前もこのブログで、「○○っす」じゃなくて、‘で’を入れて「○○です」だろ

と嘆く文を書いたが、今回もその流れに近い嘆きかもしれない。

 

百歩譲ろう。

そういう略語が礼儀的にありだとする。

 

でも、いうならば人のモノをマネするんじゃなく自分で生みだせ。

そしてそれを浸透させてみせろ。

そのくらいの意気込みが欲しい。(偉そうに)

 

年上や目上にたいして、「あざーす!」が許されるのはザキヤマだけ。

彼の専売特許だから。

 

それ以外の人間は、自分より上の人にお礼をいうときは、「あざーす」じゃなくて

「ありがとうございます」であるべきだ!

 

あーあ、令和の時代にオレも昭和のカタブツみたいなことをいうようになって

しまったか。とほほ。