あさま山荘事件から50年 | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

今日、2月19日であさま山荘事件発生からちょうど50年らしい。

そうか。最近、あさま山荘や連合赤軍関連の過去記事のアクセス数が

ハネてると思ったら、そういうことが理由にあったのかもしれない。

 

オレが生まれたときは、もう既に学生運動とかは落ち着いていたのだが、

ちょっとその時代の空気を吸ってみたかったような気はする。

 

あさま山荘寺事件は極左だとか保守だとかそういう次元で簡単に語れる

ほど浅い事柄ではない。

 

(過去記事より4年前訪問時のあさま山荘画像)

 

50年目とあり、マスコミもあさま山荘関連の報道を流しはじめている。

銃撃で殉職した警察関係者に警察が献花したというニュースを観た。

亡くなられた警察関係者は実に気の毒で時間が流れた今でもご冥福を

祈るが、それはそれとして、やはり今でもマスコミの報道が完全に偏り

警察正義説の美談、武勇伝になっているフシが強く感じてならない。

 

連合赤軍はたしかに身内を総括(粛清)して、それはいうまでもなく

いけないことであるが、ある意味でそれとあさま山荘立て籠もりは

わけて考えないといけない部分はある。

根本的なところを討論しないと人類はなにも進歩しない。

 

メディアの報道の仕方は明らかに正義の味方(警察)と悪党(連合赤軍)

である。

 

善良な市民を人質に立てこもった悪党を警察が逮捕したという図的な

報道はずっと変わっていない。

 

こんな報道の在り方じゃ、10代とか20代の若い子は情報を鵜呑みにして

しまうのではないかと危機感をおぼえる。

警察賛美として捉えられて終わりなんじゃないかと。

 

ろう城は決していいことではないが、どういう人たちがどういう思想を持って

そういうろう城という過程になったかというのをマスコミや、子を持つ親はもっと

しっかり伝えるべきである。

 

とにかくメディアやネット上の情報におどらされてはいけないのである。

もっと自分なりの情報網で情報を得ないと間違った情報に洗脳される。

 

別に連合赤軍の人たちの肩を持つわけじゃないが、今のメディアの情報の

流し方はフェアではない。

 

連合赤軍の人たちは自分たちが犯した総括という事実を認めて反省し、

すべてを包み隠さず語っているが、警察のほうはすべてを話さず、自分たちが

過激派相手に勇敢に戦ったということばかりを節目ふしめで話し続けている。

 

これじゃあ、いくら今年で50年目だとかいっても、今後100年目だとかいって

事件を振り返っても人間はなにも進歩しない。

隠蔽することが美徳だといっているようなものだ。

 

みなさん、マスコミの情報や演出に惑わされないように。