「好きなこと」が売春ではいけない | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

バランスのとれた思考というのはホッピーに似ている。

自分の考えも大事だし、それなりに外部の声を取り入れることも大事である。

中が濃すぎると自我が強くなるし、外が濃いと他の意見に影響されやすい薄い

人間になる。

中(焼酎)と外(ホッピー)の比率が重要なのである。

 

 

先日「誰の言葉?あなたの言葉じゃないんでしょ?」という記事で、

「叱られているうちが花だと思え」という言葉は借りてきた言葉だという旨を書いたが

周囲の友人に意見を訊いたところ、想像通り賛否が割れた。

「花だというのはそのとおりじゃないか」という派と「誰かがいった言葉の安直な受売り」という派。

それでいいと思う。意見が割れるというのは議論をおこなうにあたり正常な証明だ。

 

では、今日はこれもよく耳にする

「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」

というお説教……いや、お言葉について考えてみよう。

 

部屋にある哲学者・中島義道の本の文庫を最近またパラパラと読み直してみた。

 

 

 

 

マイノリティ哲学者の中島義道が世に憚る嫌いな言葉を10個テーマにしているのだが

そのなかのひとつに

 

「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」

 

というのがあると書いている。

 

 

中島氏はこれは無責任な教師や評論家が口にするでまかせだと語る。

 

本文によると、

 

その好きなことは万引きや売春であってはいけないわけである。

社会的に評価される、できれば職業に結び付くことでなければならないわけだから、

実はきわめて制限されている。

こう語る先生が、ナンバーワンのソープ嬢になるように、優れた麻薬運び人に

なるように薦めているとはどうしても思えない。

なにか好きなこととは、何でもいいわけではないのです。

このあたりが大変欺瞞的なのですが、そういわないところが狡いのです。

こんなにハードルを高くしておきながら、「おまえ、なにも好きなことがないのか?」

と聞いて、不思議がるのも徹底的におかしい。

 

とある。

 

極論といえば極論だが、いっていることはわかる。

オレ自身は正直この言葉にそんなむかつきはないのだが、中島氏がこういうのも

一理あるし、現にそういう狡い人間にあったこともある。

 

中島氏がいうには、はじめから好きなだけでは駄目なことをはっきりいって欲しい。

そうすれば好きなだけではどうしようもない膨大な仕事があることもはっきりするとのこと。

 

たとえばアイドルやフッションモデルやプロスポーツ選手や学者などは好きなだけでは

どうでもならない。

外見や才能の時点の問題なのだ。

 

中島氏のいう‘狡い’人の特徴は、なんでもいいから好きなこと」といって訊いておきながら

相手が、宇宙が好きだから宇宙飛行士になりたいとか、ファッションが好きだからモデルに

なりたいとか、そういう華々しいことを目指したい旨を伝えたら、急に「現実をみろよ!」

というふうになり、逆に、介護士とか量販店の販売員になりたいとかいったら、顔を輝かせて

「おお!そうか!」と話にのる人である。

 

つまりは、なんでもいいとかいっておきながら、華々しい職業への要望は突き放し、

社会的上昇志向の薄いしかも堅実なものだけが認められるのである。

 

つまり、

当人がほんとうに好きかどうかはこちらが決めてやる。

という狡い態度がそこにある。

と中島氏は言う。

 

オレがポジティブ人間をあまり好きじゃない根本的な理由はそこにある。

 

ちょっと後ろ向きなことや自信なさげなことをいうと、

「もっと前向きに考えろよ!」とか「やってみてからいえ!」とかいうクセに

たまにこれをやってみたいとか、目指したいとかいうと、これまでのポジティブ押しつけは

どこにいったかのように、「現実を見ろよ!」「自分の立場わかってんのか!」と

いってくる。

まさに中島氏が言う、「おまえがそれを好きかどうかはこちらが決めてやる」の

人種なのだ。

ああ、なんと面倒くさい。

 

最近はサウナに凝っている。

どうしても煮詰まったらサウナにゆくことを考えたら生きるのも気持ち程度に楽には

なる。

でもいくら好きでもサウナ好きで儲けることにはつながらないことくらいはわかっている。

そんなもんである。

 

ストレス解消や気分転換という意味では、自分の好きなことや趣味を見つけるのは大事だと思う。

でも、そういうことっていうのは人に、特に精神論体質、ポジティブ体質な人にたいして

いうものじゃないなと思う。

今まで自分のことを心配していたふりをしていたことをしって失望するだけ。

 

そう、なにかとあれば好きなことはなんだと訊いてくる人がいるが、そういう人は

訊いておきながら、自分が期待した回答(上昇志向の薄い堅実なモノ)しか求めて

いないのである。

 

所詮、趣味や夢など自分の好きなことの価値観なぞ、他人は理解できないものだという

ことを前提に考えて、人とはコミュニケーションをとったほうが良いだろう。

嬉しい答えを期待してまっていると、そのぶん返ってきたときのダメージが大きくなる

だけである。

 

ああ、人生とはなんて面倒くさいものなのだろう……。