一周まわって年下有名人の活躍に嫉妬する | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

小さいころ、いわゆるテレビにでている有名人はみな大人で自分たちよりも

ずっと年上で当たり前というイメージをもっていた。

たとえば、プロ野球選手。

みんな年上のお兄さんたちと思っていたが、いつの間にか同級生に

なっており、年下になっており、そして気づいたら同級生の息子くらいの

年の選手が活躍するようになっていた。

アイドルや芸人とかもそうだ。

 

そういえば中学生のとき、光ゲンジのメンバーのうち、ふたりは

自分より年がたったひとつだけ上としったときは衝撃だった。

しかもそのうちひとりはすぐ隣り町の中学生だというし。

 

なんだろう。

自分より年上の有名人、芸能人、スポーツ選手が活躍するぶんには

まあ、大人だからそうだろうなと納得いっていたが、十代後半くらいに

なって、タメや年下の有名人が活躍したり稼いだりしだしたときはけっこう

嫉妬したものだった。

なんで同じ人間でそれなりに苦労してきたのに、こうも人生が違うものなのだろうと。

 

それを友人に話したところ、

「年下の人気者に嫉妬する時期はあるけれど、いずれそういう時期も過ぎるよ」

といわれた。

 

それはたしかにあたっていた。

二十代なかばくらいになると、十代で活躍したり稼いだりしている芸能人やスポーツ選手が

もう星の数ほどでてきたので、嫉妬しきれずというか、嫉妬するのにもパワーが必要すぎて

もう、「他人は他人、自分は自分」と思えるようになってきた。

心がおおらかになった面もあるかもしれないが、どちらかといえば人生の軌道修正不可能を

悟ったうえの諦めのようなものでもあったかもしれない。

 

それからもうしばらく、年下の活躍に嫉妬することはなくなっていた。

応援もしないけど嫉妬も憎悪もしない。勝手にやってくれ、という感じ。

 

だけど、人生も折り返し地点を過ぎたといえる今、一周まわってまたやや嫉妬するように

なってきた。

 

でも十代のあのころしていた嫉妬とはまたその炎の種類が違うのだ。

十代のころはただ、単純で勢いだけの赤い嫉妬だったが、今は人生折り返しを

過ぎて自分のこれまでも人生をじっくり見返す冷静な心境のもとの青い嫉妬のようなもの。

 

それは努力や苦労は必ずしも報われないという事実を身をもって経験し、また、まっとうに

生きてきてからこそ、報われた者にたいする憧れのような嫉妬。

そうだ。いくら稼いでるとか、どれだけ注目されているかという嫉妬ではなく、若くして

報われたことにたいする嫉妬なのである。

 

逆に今の年齢に達したからこそ、気づくことのできる嫉妬。

まだ人生経験の浅い二十代のころでは気づくことのできない嫉妬。

あるいは嫉妬のようなもの。

 

でも思った。

 

年下の若い人間に嫉妬するということは、いいかえれば若いうち今もっとやっておけば

よかったという後悔をしっかり認めていると同時に、、まだ負けん気というか野心の片鱗の

ようなものを持っている証明だと考えることもできるのだ。

若い者や他人には負けたくないということの。

 

嫉妬と野心は表裏一体かもしれない。

 

若い人にたいする嫉妬の炎を宿しても、それが老いた野心の導火線に火をつける

炎となるならば、あながち嫉妬というのものは悪しきものでもないのかもしれない。

嫉妬するのにもパワーがいるのだ。

 

そういうわけで今はちょっと若くして活躍している人間にたいし、しっかりその才能を

認めたうえでの冷静な嫉妬をするようになった。

‘後輩’という感じくらいの年下なら活躍しててもそんな悔しくないけれど、さすがに

同級生の息子や娘くらい、あるいはそれよりちょっと上くらいの年齢の人間が目立って

ちやほやされているとやはり悔しい。

じゃあ、おまえは若い人たちに負けないように、具体的になにをやっているのかと

いわれたら、そこはまだ模索中なのだけれども。

オレにはこうして駄文コラムを書き連ねるくらいしかできない。

 

悔しいけれど、大谷翔平はすごい。

すごいのはもう認める。

 

ちなみに年下で活躍していても、まったく嫉妬しないだころか純粋にすごいし

頭もいいし、とても好きだなといえる存在もいる。

ピースの又吉直樹とか、カズレーザーとか。

 

まあ、なかには「なんでこいつが認められるんだ?」と純粋に思う有名人も

多いけれども。