アイ~ンという名のもとに 志村けんの銅像  | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

先週末は東村山までプチサイクリング。

 

映画スタンド・バイ・ミーの死体を発見しにゆくたびじゃないけれど、

東村山駅前にできた志村けんの銅像を見にゆこうという自転車の旅にでた。

とはいっても片道約1時間だけれども。

 

志村けんの「東村山音頭」はやはりとても印象に残っている。

地名や土地にまったく詳しくない子供時代、もしかしたら自分の住んでいる

市以外ではじめて名前をしった市は、東村山市だったかもしれない。

それだけ東村山音頭の影響というものは大きい。

 

国分寺市と小平市を縦断して、東村山市に到達。

 

ワーオ! 東村山イッチョメ!イッチョメ通過! ワーオ!

(わかる人にはわかるw)

 

 

 

駅前に到着するとロータリーに入った時点で駅入り口階段向かって右にらしきもの発見。

 

 

バックのボードにある写真はモザイクアート。

近づくといくつもの小さな写真が密集している。

 

クラウドファンディングで集まったお金で建てられたようだ。

 

 

公共の場なのでお供えものなどはしないでくださいという注意書きが近くに

してあった。

 

ゆく前に「志村けん 銅像」とまで検索してみたら、検索候補に

「志村けん 銅像 似てない」

というのがでたのだが、どうだろうか。

 

オレも最初画像見たときはあまり似てないかなと思ったが、近くで見たら

それなりに似ている気もする。

 

 

ただ、手がアイ―ンになっているのだから、できれば顔も顎を前に

出しているアイ―ンの顔だったらもっと良かったと個人的には思う。

 

志村けんのギャグといえば、人差し指と親指で顎をつかむようにして

そこからその手を下に落とす「ダウーン!」というのもあったが

アイ―ンがインパクト強すぎて喰ってしまっているのか、ダウーンは

やっている人をあまり見なくなってしまった。

 

ああ、中学生のとき大好きだった「志村けんのだいじょぶだぁ」が

懐かしい。

あのときはまだ田代マーシーも全盛期だったな。

 

 

だっふんだ! (◎`ε´◎)