親ガチャ | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

 

小さいころ近所に同級生が住んでいたのだが、新しいファミコンのゲームがでるたびに

いつも発売日に買ってもらっていたようだった。

誕生日でもクリスマスでもないのに、親がどうして子供にそこまでモノを買い与えるのか

子供ながらに理解できなかったし、今でも理解できない。

 

また別の友人は母子家庭だったのだが、小学校5年生のときに親から月に3千円のおこづかい

をもらっていて驚いた。何度かお母さんにも会ったことあるので、その様子からわかるのだが

息子ふたり(兄もいた)を溺愛していたようだった。友人は「○彦」という名前だったのだが、

いっつも「ヒコちゃぁ~ん♡」とネコナデ声で呼ばれていて、「ああ、溺愛されているんだなァ」と

思った。

 

月のおこづかいが500円だった自分からすれば、新しいゲームがでるたびに買ってもらえたり

月におこづかいを3千円もらえるのは子供だけに羨ましいとは思ったが、だからといって

その家の子に生まれたかったと思うことは不思議と一度もなかった。

子供ながらに我慢や節約という感覚を失う大人になることを恐れていたのもあったし、

なんでも物やお金を与えられるのが決して幸福とか限らないということくらいは気づいている

からだった。

 

全部が全部とはいわないが、やはり子供のころいつででもなんでもモノやお金を与えられてきた

人間というのはどこか感覚がズレているか優しさというものに鈍感で、事実、前者の同級生の

ほうはけっこう嫌われていた。はっきりいってしまえば、お山の大将的なキャラが多い。

 

最近、「親ガチャ」という言葉が話題になっているとしった。

日曜日にサンデージャポンでやっていたと思ったら、ちらっとチャンネルをザッピングしたとき

裏のワイドナショーでも「親ガチャ」についてとりあげられていた。

 

ガチャというのはあのコインを入れてレバーをまわすとカプセルトイがでてくるあのガチャの

ことで、それになにがでてくるかわからないアタリハズレがあるように、子供も経済力があったり

ルックスがよかったり、才能があったりする親を選べないことを「親ガチャ」と呼ぶらしい。

新聞に書いてあった言葉を引用すると、親の経済力、教育環境は運で決まり、子の将来が左右

されること、だそうだ。

 

うーん、親ガチャ。

正直この言葉あまり好きじゃないな。

不謹慎だからとかそういうことじゃない。

正解過ぎて残酷だからだ。

世のなかの不平等について正論を突きつけられることほど救いのないことはない。

的を得すぎていてなんか嫌なのである。

 

同時に5年前にオレが書いた「遺伝子ぼっちゃん・遺伝子お嬢ちゃん」という記事の内容にどこか

リンクするものを感じた。参考までにリブログしておく。

 

改めてここで簡単に書くと、どんな才能や性格にも備えているのが決して当たり前はないのである

 

よく強気な人やアツい人が他人に説教とかするとき、「オレはいうときはいう人間だからね」と

さも自分が人にたいして強く言えるのが当たり前のようにいったりするが、そういう人は自分がとても

恵まれて生まれてきた人間だという自覚がないのかと思ってしまう。

 

それは誰だって人と対立するときは相手に強くいいたいに決まっている。

でも生まれてきたときに親から与えられた性格上、それがしたくてもできない気の小さい人だって

いるのだ。

 

どうして自分は気が強い人間に生まれてきてとても恵まれていると改めて思えないのだろうか。

どうして自分が人に強くいえることを当たり前のようないい方をするのだろうか。

 

親がお金をくれるのを当たり前だという感覚を持っている人間を「お金持ちお坊ちゃん、お嬢ちゃん」と

呼ぶならば、親が強気な遺伝子をくれたことを当たり前と思っている人間はみな、

「遺伝子お坊ちゃん、遺伝子お嬢ちゃん」である。

努力とか経験とかなしの無条件で親から与えられたその性格にたいして、どうして他よりも

恵まれていると思えない、いや、思えないのだろうか。

 

なので、親ガチャという言葉が不謹慎ではないという前提でいえば、オレはアタリを

引いた人側にたいして、己惚れるなといいたい。

 

それと、ぶーちゃんに生まれてきた人が、ハズレを引いたと嘆く気持ちはわからない

でもない。

綺麗事抜きで本人の気持ちやコンプレックスは本人にしかわからないから。

 

でもまあ、この「親ガチャ」って言葉、親は悲しむだろうなあとは思う。

だから、やっぱりこの言葉はあまり好きじゃない。リアル過ぎて残酷。

でもこの言葉を考えた人は今、これだけ話題になっているのをみてニンマリしている

ことだろう。