ゲンナリ指南が忖度を蔓延させる | 昭和80年代クロニクル

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古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

凶悪な事件がおきたり、芸能人が薬物で逮捕されると、当然裁判が開かれる。

被告となった人間はそこでいろいろと証言する。

 

その都度その様子をワイドショーやニュースがコメンテーターを交えながら

伝えるのだが、そこでよく被告の発言について、

 

「あの発言は裁判官の心証を悪くしますねえ」

とか、

「あそこではこういっておいたほうが裁判官の心証は良いでしょう」

などとご意見番が語ったりする。

 

それを聞くたびにオレはいつも違和感を覚える。

 

ご意見番やコメンテーターがいうそのセリフというのは、

事件の真相背景や被告の本音をその裁判でどうやったら掘り起こすことができるかという

ことではなく、裁判官にこういっておいたほうが被告にとって裁判が優位に運べますよ、

ということではないだろうかというのが大きな疑問である。

 

すこし前に流行って今も使われている忖度という言葉がある。

これは相手の気持ちを配慮すること。相手をいい気分にさせることである。

 

ここでご意見番やコメンテーターたちが被告にすすめている心証論というのは

言い換えれば裁判官にたいするひとつの忖度のススメではないだろうか。

 

世間が裁判でしりたいことは、被告と原告のどちらが勝つかということよりも先に

その事件の全景や真相であるはず。

 

何十人という無実の人を殺した被告が、裁判官にヘコヘコするような猿芝居は

誰もみたくないし、そんな芝居で刑が軽くなられたものでは被害者家族や遺族は

たまったもんじゃない。

 

でもこの相手の心証がどーだこーだというシチュエーションは裁判に限らず

我々の身近にも存在するのだ。

 

それをもっとも感じたのが大学4年生のときの就活だった。

1、2度だけ進路指導室なる場所を利用したことがあった。

応募先のあっせんや、面接のノウハウなどを教えてくれるという場所だ。

 

1、2度は通ったが3度目はなかった。

相手を探る術ではなく、相手に気に入られる術ばかり教えようとしてくるので

ゲンナリしたのだ。オレには合わないと。

 

企業を受けるのであればまず面接官がでてくる。

窓口として対応する以上、学生から見てそこの企業の顔はその面接官という

ことになる。

 

学生側としては、たいしたことない面接官やろくでもない面接官を企業の顔という

ポジションにおく会社はまともではないということで、ひとつの選考材料にしたい

のである。

新卒採用の立場はイーブン。

雇いたい側と雇われたい側双方が存在するからその場が存在するわけである。

企業も学生を選ぶ権利があるが、学生側にも企業を選ぶ権利がある。

 

だからオレはその企業の顔(窓口)としてでてきた面接官の人間性を探るような

質問を面接でしたいと思い、進路指導室で「こういう質問をしたいのですが

どうですか?」と訊いたら、

「そんなことはきいちゃダメだ!」

「そういうことを訊くのはあまり印象良くない」

「自己PRだけすればいいんだ!」

とそんなことばかりいわれた。

 

印象?

自己PRだけ?

 

なんだろう。

たぶん今の学生の就活指導や面接でも根づいているような気がするけれど、

それらの指導や助言というのはお互いの人間性や才能をより深くしるための助言ではなくて

単純に面接官への印象を良くするための助言でしかないとしか今でも思える。

つまり、「お、この学生はいいな」と、面接官を気分よくさせる忖度指南である。

 

大学の進路指導室は忖度指導室だった。

だからオレには合わないなと見切った。

相手によってヘラヘラコロコロと態度や表情を変えられるカメレオン人間のような小利口な

者が忖度指導室の方針に上手く従うことができる、また世の中を上手く渡り歩くことができる

んだろう、と。だからオレには無理。

 

最近、お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹とライターの武田砂鉄のふたりが

往復書簡という形式で出版した「無目的な思索の応答」という本を読んだ。

 

 

 

 

その中で武田砂鉄がこんなことを書いている。

以下引用。

 

――

自分はアナタが考えていることを知りたいのに、こうするとイイ感じに思われるよ、と

レクチャーされると、ぐったりします。

ぐったりした後で、矢継ぎ早に注がれた言葉を振り返ってみると、

「……べきだよ」「……しておけばいい」「……がベスト」という指南の連発。

指南はありがたいのですが、賛同を得るために自分の考えを変えたくないのです。

世の空気を察知して順応すればするほど、影響力が獲得できる、と帰着する働きが

おしなべて苦手です。

(中略)

アナタの効率的な戦略でなく、アナタが煮込んでいる思索を知りたい。

 

……

 

誤解ないように補足しておくと、これは武田が又吉のことをいっているのではなくて

又吉にたいしてこういう相手や状況が苦手だと伝えているのである。

 

武田砂鉄のこの言葉、

これ以上ないくらい気持ち良く共感した。

同時にオレの他にも同じような息苦しさを抱えている不器用な仲間がいたんだと

嬉しくなった。

いいたいことをとても知的な文章に変換して代弁してくれた感じだ。

 

うん、わかっている。

綺麗事抜きで現実的にそんな風潮は変えられないということも、

そんな真正面からぶつかってくるような人間に出逢うことなんてかなりの高い確率で

ないということも……。

 

だからこそ、もう怒りを通り越してこんな世の中に生きていることが悲しいのだ。

 

 

政治家や官僚ばかりに「忖度」という言葉が使用されているが、我々の日常にも

パッケージだけ変えられたたくさんの忖度が蔓延している。

 

そしてオレのまわりの指導者や理解者は、気が付くといつの間にか

ゆるゆるキャラ「そんたくん」へと変わっているのである。