たまに会う同級生は給付金10万円もらったら、プレステ4を買うといっていた。
友人は基本ゲーマーではないのだが、基本収入が安定しているためにそれ以外から
金が入るのであれば、それは経済用語でいうところのABUKUZENIなので
普段ならば進んで買わないプレステを買いたいとのことだった。
普段ゲームにあまり興味ないけど、機械があればゲーム機本体とソフト数本
欲しいという考えはオレほぼ同じである。今回は買わないけど。
こういう状況だからこそオレも今はちょっとだけプレステが欲しい。
あくまで暇つぶしツールのひとつとして。
さすがに読書や妄想だけでは間が自粛の間が持たなくなってきたのはある。
かなり前に買ったプレステ2が数年前に壊れてからは家でまったく
ゲームをやっていない。
プレステ買いたいという友人の言葉を聞いてから、これまでのどんなゲーム機が
あったかをぼんやりと考えてみた。
オレが通過してきたのはスーパーカセットビジョン、ファミコン、スーパーファミコン、プレステ2
だが他にもセガサターン、ドリームキャスト、ゲームボーイなどなど新しいゲーム機が
発売されるたびに所持していた友人はけっこういたかもしれない。
一番はじめはファミコンも贅沢品だった印象で、うちは周囲からかなり遅れて
買ってもらった。
そうそう、今でこそいろんな種類のゲーム機(ハード)が世にでているかもしれないが
自分たちが小学生のころはもうファミコンの独壇場だった。
ファミコンを越えるゲーム機はでてこないだろうと思うと同時に、子供ながらに
ファミコンに対抗するゲーム機を出す会社もいないだろうと思っていた。
そんなとき、ファミコンブームに喧嘩をうるようにしてでてきた一台のゲーム機があった。
NECの「PCエンジン」というゲームである。
しっている人も、もう上のほうの世代だけかもしれない。
ゲーム好きの友人とかはこちらにも興味深々だったり、実際に買ってもらったり
していたようだが、オレはファミコンがあれば十分だった。
だけど、たまーにちょっとやってみたいと思うゲームがファミコンではなくて
こちらのPCエンジンのソフトとして発売されたりしてもどかしさを感じることも
あった。
PCエンジンのソフトで唯一当時プレイして見たかったゲームでもあり、
唯一おぼえているゲームでもあるのが冒頭に張りつけた
『カトちゃんケンちゃん』である。
志村けんが亡くなったこともあり、思いだした。
内容は当時放送していた人気番組「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の
中のコントである「探偵物語」のゲーム版である。
今思えば人気番組とのタイアップ的な話題先行のナンセンスな世界観の
ゲームではあるのだけれど、発売された当時まだ中一くらいで
「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が大好きだったため、とりあえずプレイ
してみたくてしょうがなかったのである。
親がなんでも買ってくれるUという友人がいて、そのUがファミコンの他に
PCエンジンとこの「カトちゃんケンちゃん」のソフトを持っていたので、ほんの
一回だけプレイさせてもらった記憶があるが、どんな感じだったかまったく
おぼえていない。
たぶん、それだけ瞬発的なイロモノ企画ゲームだったのだと思うが、
今となってはそのくだらなさが逆にゲーム界におけるレガシーの位置づけに
なるかもしれない。
プレイヤーはたしか志村か加藤を選べると思った。
改めて動画を再生してみると、進行が単純な横スクロールなのは当たり前で
画面を進んでゆくと途中で志村(加藤)が立ションや野○ソをしていたり、
志村の武器がオナラだったりとほんとに購入者をナメている。もちろん褒め言葉(笑)
でも今はこういう内容のゲームってどこのメーカーも出さないだろうし、
出したところで売れないだろうから、ゲームの背景にひとつの時代を感じずに
いられない。
このカトちゃんケンちゃんを発売していたのがあのハドソンだというのも
今回改めてしって驚いた。
ゲーム業界もお遊び的なことやれる余裕があるバブル時代だったのかもしれない。
カトケン、本編のテレビのほうも懐かしい。
「だいじょぶだぁ」って言葉が生まれたのもあの番組からだった。
志村けんが「だいじょぶだあ教」の教祖となって大勢の信者連れて太鼓叩きながら
街を練り歩いていた回の印象が強い。
それと志村がスイカを食べ過ぎてスイカ人間になってしまうホラーチックな回も。
ゴールデンの子供向け番組にもかかわらず、前半の探偵コントで30分まるまる
ストリップ劇場を舞台としたコントやって、裸映しまくって、翌日の普通の新聞に
「TBSに抗議の電話殺到」と記事になったこともよくおぼえている。
まだほとんど知名度がなかった久本雅美がちょいゲストで登場して、悪魔に
憑りつかれた女性を演じ、志村と加藤のふたりから大爆笑をさらった回も
あった。
今でこそあちこちで見かける素人投稿の面白映像企画も、もともとはこの
カトケンの「面白ビデオコーナー」がはじまりだ。
当時は当時で製作側が好きなことをやり過ぎてた感もあるが、コンプライアンスが
キツキツの今と比べれば、各々もトラブルもすべてひっくるめてある意味ひとつの
アイコンといえる良い時代?だったかもしれない。