ミュージシャン、マヌエル・ベラ・トゥデラのエッセイ(ブログ)。
前回の私のブログで無料文化イベントがクスコで多いことを述べたが、
7月El Comercio紙の最新のマヌエル・ベラのエッセイで
それにかかわりあうような記述もあるので、また訳してみた。
ちなみにこの人物、先日行ったライブで演奏していたよ。

向って左のおじさんね。
原文は以下参照
http://elcomercio.pe/blog/cuscosparalelos/2015/07/feliz-aniversario-cusco-en-ti-confio
クスコ祭の月、6月が終わった。これを悲しむ人間も多い。
通から舞踊や聖人の行進やアルマス広場での騒ぎが終わったからだ。
しかし安堵する者もいるのだ。聖なるパチャクテクの上で泣いて
小便する人々の国粋主義的なデシベルが下がるからだ。
こうしたことはみんな相反していながら、また同時に起こるのだ。
自分としてはこうした日々はもうどうでもいいことなのだ。
インティライミはどうとも思わない。夜間コンサートも同じで、
盛大なお祝いの跡に広場がゴミだらけになるのが不愉快なだけだ。
そうして6月は過ぎ去った。相反する気持ちとともに。
クスコを愛する反面、クスコに耐え難い気分がある。
だが、愛するからこそ耐えられないのだ。恋人や、音楽やリマにいる家族のように。
最も希望や喜び与えてくれるものが失望もあたえてくれる
ということを期待することはない。両方の意味での痛みがあるのだ
しかし、クスコが俺に希望を与えてくれるのはなぜなんだ。
どうしてクスコを信用するのか。
俺が思うに、クスコは世界の良心の拡大の
新しいセンターになる可能性を秘めているからだ。
これは世界の偉大で新しい創造的な都市になりうることを意味していて、
自分で再生し、過去の教えを現在に適用し、探求の新しいポータルを開き、
調査、研究し、生産し、発明し、文化的産業への道を開き、
正しく、自然の中での役割を意識するものや才能を生み出し、
社会の中での潜在性開拓する創造的な形を発見する。
クスコはわが国で創造性を発揮する基地となるべきものを備えている。
どうしてそう思うのか。なぜなら、クスコには有形、無形の豊かさを備え、
また創造的で、公正視な視点と関わりあう偉大な共同体文化があるからだ。
まあ、みんな変わってしまったような感じもあり、
今言ったのとは反対のことが起こりつつあるのだが、
それでも俺は、総体的な視点が残り、クスコが家族的なものを内に秘めた
賞賛に値すべき社会で、それらをもっと大規模に応用できるのだと思っている。
ここには素晴らしい有形、無形の偉大な遺産がある。
こうしたものが県庁、文化省クスコ支部といった国の機関が、
文化的プロジェクトを作り出す柱を作る動機付けとなっている。
まず文化的日程、カルチャーハウスにはじまり、
ついで文化、先住民言語と平等を促進する持続的で
賞賛に値する事業を行っているのだ。政治的な力を持つものの中には、
文化が俺たちを深淵から脱け出させてくれるのだと意識している者も出てきた。
俺はとてもうれしい。
遺跡は有形遺産として知られ、今自分たちが使っているのとは形は違って、
大いなる拡張の道具となる。
未来には、自由で、ダイナミックでな空間となってくれ、
靴を脱いだり、警戒線を超えたり、石を触ったりしてはいけないような
神聖な場所ではなくなってくれているはずだ。
ジャーナリストが遺跡という呼称をやめ、
探求の活動的なセンターと扱うようになるはずだ。
みんなが遺跡の中で創造的なことができるようになることを望む。
たとえば、「第19回、サクサイワマン沈黙コンサート」とか、
「第三回雨の中のオールヌードフェスティバル、ピサック2038年」など。
クスコはその遺産の扉を世界中に向けて開くことができるはずだ。
マチュピチュを訪れるのが
みんなにとってそう高いものでなくなることを心から望む。
20分車に乗るのに20ドルもしないように、入場無無料になってほしい。
シエロのボトルウォーターが9ソーレスもしないように、
いやインカの石で浄水された雪解け水の
無料の給水器がみんなに利用できるようになって欲しい。
俺たちのの遺産にがめつくなることはなくなり、
世界中に開かれたものになるはずだ。
はっきり言おう。マチュピチュは俺たちのものではない。
俺たちは、幸運にもその近くに生まれたというだけなのだ。
ティポンだって、オジャンタイタンボ遺跡だって、
ピサック遺跡だって、いろんな建造物だって同様だ。
遺跡の窓を通じて過去を見出し、最も大切なもの、調和し、
豊かで、正当で幸せな現在のための明らかな指針をを見つけることができるのだ。
「まずは自分、周りのものは次」というような言い回しはなくなり、
ごみの中をクスコの街に入っていくようなことはなくなり、
整備された道路とチャクラカヨの入り口にあるような
「スマイル。もうクスコにいますよ」というメッセージの
グラフィティの描かれた塀の間を通っていくようになるはずだ。
クスコが自身を台無しにするようなひどい印象を私に与えるのでなく、
毎朝、探求し、生まれ変わってていくような街になっていくはずだ。
こんなことを考えてうっとりしながら、
「世界的な意識の拡大を見据えたクスコの文化産業の現状と可能性」
について、かなりまじめに調査をすることを思いついた。
クスコがニュー・エジプトであるというような
論文をひけらかすことで仕事がやってくる。
だけど、俺には本当にやらなければいけないことが山のようにあるんだ。
「誰か、やってみませんか?」
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