今、聖週間でこの時期に協会に行くと
告解室にたくさんの人が並んでいて、
ざんげをするのを待っています。
いったいどのような罪を犯したのでしょう・・。
ローマ法王フランシスコは
枢機卿ホルヘ・マリオ・ベルゴグリオとしてのFACEBOOKで
「許されることは美しいことだ」
と語っています。
http://www.facebook.com/JorgeMarioBergoglio
ほんとうにそうなんでしょうか?
罪の許しを請いに来ても、
また同じ罪を繰り返す人がこの世にはなんて多いのでしょう。
クスコでは毎年聖月曜日に
1650年にクスコを襲った大地震のときにこの地震を鎮めたという
地震の主(セニョール・デ・ロス・テンブローレス)の
黒いキリスト像が行進をし、クスコの市民に祝福を施します。
このときにはクスコのアルマス広場に立錐の余地もないほど
人が集まり、キリストの祝福を受け、罪の許しを請いにくるのです。
一度、夕方から今現在スターバックスがあるバルコニーに
4時間ほど陣取ってこの光景を観察したことがあります。
私はこの光景に感動するよりもシラケてしまいました。
たくさんの悪人の姿が脳裏をよぎったのです。
「ごめんなさい。今日も泥棒しました。」
「今、スリをしますが、許してください」
「人を殺しました。」
そんな告解をする連中の姿を想像していました。
昨年、うちのオフィスにケーキを売りに来るオバアサンの息子さんが
聖月曜日の夜に強盗に会い、鼻の骨を折られたのだそうです。
オバアサンは警察には届けなかったようですが、
医者は殺さなかったということは知り合いの仕業だろうと推測したのだそう。
その息子さんはジャングル金鉱で働いていて、休暇にクスコに帰ってきていたのだそう。
金鉱から帰ってきてカネをもっているということを知っていたのは
その友人たち。
この町には、この国には神はいないのか・・
神は悪行を許すために存在するのか・・
ひどい絶望感に教われました。
そして今年。
祝福へ向かう人たちに向かって心の中でつぶやいたのが、
「悔い改めて十字を切りやがれ」
なぜこの言葉を思い出したのでしょう。
なぜか俺たちひょうきん族のざんげ室を思い出しました。
それもXを出す場面。
悔やんでも行いを改めない人々。
救いを求める前に日々の行いを改めたり、
努力して欲しいもの・・
夜、一人オフィスで働きながら思ったのです。
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