こんにちは

れんも明日で8才になります。
目標にして来た年齢になります。
大きく改善できる、とりあえずの区切りと思って頑張ってきました。
改善を本気で目指してから、2年生ほどがたちました。良いと言われることで、私が信じられると思うもの、これならばずっと続けられると思えるもののみですが、やれる範囲で頑張りました。なので、そこまで沢山の事をしてきたわけではありません。


ですが、2年前と比べれば、本当に成長しました。年齢によるものや、周りの環境によるもの、そして、やはり、ワーキングメモリーのためと頑張ってきたこと、ひとつひとつが良い効果が出たのだと思います。
それ以前の年齢では、年少、年中とここまで改善を感じることはありませんでしたし、年長になってからは、通っている幼稚園では、見守りと言う名の放置という対応をする園だということが、本当に身に染みて分かりました。それまでは、それでも同じようにやれるように工夫をしてやってもらえていると思っていたのです。見える範囲では、ですけれど。
放置して見守るだけの対応では、全く改善にはならなかったと感じます。やれることは親である私が調べてやらなくては、あの時そう思わず、ただ、集団の中に入れて見守って、そうしているだけで成長を願うだけだったなら、れんの今の姿は全く違うものだったと思います。

ただ、幼稚園だけが悪いわけでもなく、先生たちにも、知識がなく、学ぶ余裕が無かった、学ぶ方法が分からなかった、そういうことなんだと、そう思う事で気持ちを擦り合わせています。私も思うように伝えられなかったし、先生たちの思うやり方に疑問も出てしまい、最終的には伝えることを諦めるという事になってしまったと思います。ただ、そのやり方のせいで、れんの特性は、より強く出る結果になっていた部分もあったのではないかなと今の状態を見て思います。
当時、やってもらえないのであれば、やれることを私がやろう、そう思っていました。就学前の段階だったから、そう思えていた部分もあります。これが、小学校であったならば、もっと複雑な悩みになっていたと思います。勉強も始まりますしね。理解のない教師も、残念ですが一定数居るということは知っています。
どの親も、そういう先生に担任をして欲しくはありません。子供のためにならないどころか、悪影響で、人を信じなくなってしまう子も実際居ます。自信をなくして、つぶれてしまう子も居ます。

誰でも失敗はします。熱意のある優秀な先生だって、新人だった頃はあるはずで、けれど、ベテランだから良い先生というわけでもなく、結局は人間性なのだと思います。
でも、この先ずっと理解のある良い先生だけが担任になるということはあり得ないと思います。私だって、小中高といろんな担任がいましたし、もちろん、全然尊敬できない担任の時だってありましたから。
対応力、適応力をつけていく、そういう力は、やはり、定型の子達より弱いんだろうなと感じます。色々な人と関わることの必要性はそういう部分もあるのかな、と思います。

発達障害が理解されない、それはあまりにもそれぞれの特性がバラバラなせいもあるように思います。同じ診断名だとしても、その現れ方は本当に違っていて、それなのに診断名は一つだけ。
そして、その症状が性格から来るものなのか、特性から来るものなのかということも曖昧で、はっきりしない事も多いです。それを見極めるのも、人それぞれのこともあります。
親でさえ混乱してしまう、発達障害だからこういう症状が必ず出ます、というものでもない。
何て曖昧な病気なんだろう。
もっともっと、詳しく解明されていって欲しい。ぼんやりとした発達障害という、生きにくい特性が、分かりやすく、はっきりとした輪郭を持つ位にはなっていって、改善方法が確立されるように願っています。出来ることと出来ないことにあまりにも差があって、どちらの方を重視されるかによって誤解が生まれてしまう事も多くて、これがここまで出来るのだから、ここが出来ないわけがない、また逆に、ここまでしかできないのだから、これは難しいだろうという事にもなり得ます。





今現在、2年前から比べて、確実に変わったことがあります。
衝動性が改善されました。それが一番思います。
私が怒りまくっていても、冷静に対応することがあり、ビックリします。友達関係も、苦手な友達との距離の取り方が上手くなったように思います。そのぶん、大人になったというか、無邪気に遊ぶ段階から、多少距離を置いた関係性になってきている気がします。




もう少しすると、また変わってくるのかも知れませんし、本当に気の合う友達と出会ったら
変化するのかな。いろんな子供たちがいて、親もそれぞれでそういう中で生きる適応力を、本人の力で培っていくしかないんですよね。
それに、定型の人だけじゃなくて、もちろん、特性のある人だって皆同じ世界で生きていくんですから。
まだまだ8年生きてきただけです。れんの人生、自分で力強く切り開いていってくれることを願います。