姉弟が暮らす内地のアパートで仕事をしていた。
突然、背後から大小2冊の大学ノートがポンと私の目の前に置かれた。
「ママがこんなの遺してた。私達はもう読んだから」
「これは・・・何??」
「日記とレシピ。ママの色んな気持ちが書いてあるから」
なぜかドキッとした。
読んでいいものなのか?
「パパに迷惑をかけて申し訳ないとか、、、そんな事が書いてあるから」
子ども達の検閲は受けているようだ。
許しを得た気がした。
「わっ、分かった。読んでみるよ」
.
.
レシピの方は母の味を娘に伝えていた。
日記の方は直ぐに読む気持ちにはなれなかった。
島に帰るおが丸の船内で、時間をかけてじっくりと読んでみた。
日記の始まりは初めて広尾病院に入院をした日だった。
最初の一週間は検査結果等の事実関係だけ。
それ以降は不安や期待、家族への想い。
ほとんどが直接本人から聞いていた内容だった。
しかし、私への想いをこの日記で初めて知った。
自らの死後、私がこの日記を読むのを想定してかのような文体。
そんな風に考えていたのか・・・
私の認識と大きくズレていた部分もあった。
反省しなければならない。
夫婦とは何なのか。
改めて思い知らされた。
.
.
日記は最初の入院から5ヶ月間続いた。
日記をパラパラッとめくってみるとその変化が一目瞭然。
文字の筆圧が下がり震えが増していた。
妻の文字とは思えなかった。
ただ、一つだけ救いがあった。
最後の日記の日付は、子ども達2人が妻の療養生活の場に移り住んできた日の前日だった。
それまで妻は団地で独りだった。
「何だか面倒になって(日記を)休んでいた。記録、そろそろ書かなきゃなぁ」
最後の日記にはそう書かれてあった。
しかし、もう日記で記録する必要がなくなった。
愛する子ども達に囲まれながらの療養生活。
妻は自らの記録を子ども達に託した。