前にちょこ~っと書いた気がするのだが、
「良妻賢母のススメ」なる本を紹介しているブログを読んで
とても参考になった。
その方はクリスチャンで教会にも行っているとのことで、親近感も持った。
夫婦問題で苦しんでいる人のためにセミナーを行ったり、カウンセリングをしたりと
とっても活動的で好感を持った。
彼女の考えるポジティブな生き方や幸せの感じ方には共感できるし、
見習いたい部分も沢山ある。
先日久しぶりに彼女のブログを見てみたら、こんなフレーズが出てきた。
スサノオ様を祀っている神社。
龍にお願い。
よばれる所に行くしかない。
彼女は、神社にパワーを感じているらしい。
もちろん彼女は書いている。
教会では偶像崇拝を禁止しているから神社には抵抗があると。
彼女の行っている教会では偶像崇拝は絶対ダメという厳しさがあると。
....
いやいやいや、どこの教会だってダメだから!
教会が、ってか聖書がダメって言ってるから!
貴方の教会が厳しいわけじゃないから!
偶像崇拝って、何も教会以外の所でお祈りする事じゃない。
神以外のものを神とする事。
その対象が物の時もある。
場所の時もある。
自分の時もある。
私は、以前は聖書のいう偶像崇拝の禁止をただの掟と思っていた。
人が他の宗教に行かないようにするための掟だと。
でも、浮気という裏切りを経験して、分かったのだ。
この痛みは
人が神様を忘れた時、神様が感じている痛みだ、と。
愛してやまない恋人が他の人に入れ込んでるのを見た時の痛みだ。
だから神様は言ったんだ
「そんな事はやめておくれよ」と。
実際、旧約聖書では、神の痛みが
何度赦しても他の男と寝てしまう淫乱な妻を持つ夫の苦しみになぞらえて書かれている。
もしも、
よばれているから、という理由で、神様以外のものを拝むなら、
それはもう
惹かれるから、という理由で、浮気する人間と変わらないではないか。