【パブリシティ権】パブリシティ権とは

 

「著作隣接権」(89条)の解説をした流れで、実演家、特に著名な歌手や俳優等との関係で実務上しばしば問題となる「パブリシティ権」について、ここで、少し解説しておきます。

「パブリシティ権」とは何か?残念ながら、この権利を明文上根拠づけている特別の法律はありません。「パブリシティ権」は、判例を通じて形成され確立されるに至った権利です。これまでの主要な判例を参考に定義づけを試みれば、一応次のように言えるのではないかと思います:「パブリシティ権」とは、主として、歌手や俳優、タレント等の芸能人、プロスポーツ選手などの著名人・有名人の氏名や肖像等が持つ顧客吸引力という経済的利益・価値を排他的に支配する財産的権利である。

パブリシティ権は、人の氏名・肖像に関する権利であるという人格権としての側面がある一方、あくまでその保護客体は、氏名・肖像そのものではなく、これらが持つ「パブリシティ価値」すなわち氏名・肖像を営利的に利用した場合の顧客吸引力を有する経済的利益ないし価値に対する支配権であるいう点で、財産権としての側面が沿革的に強調されてきました。パブリシティ権は、著名人・有名人が有するその氏名・肖像の営利的利用権といってもいいでしょう。

わが国で最初にパブリシティ権の存在を認めた判例は、「マーク・レスター事件」(下記参照)であると言われています。この「マークー・レスター事件」以後、多くの判例が積み重ねられ、パブリシティ権は、今や、広く認められた権利となっています。しかしながら一方で、なお解明の必要な点も多く残っており、その意味で、パブリシティ権は、なお形成途上の権利であるといえます。具体的には、次のような論点があります:

〇 パプリシティ権は、人格権なのか経済的権利なのか。

〇 パプリシティ権の譲渡は可能か。

〇 パプリシティ権に存続期間はあるのか (死後においても認められるか)。

〇 文人や学者、一般人にもパブリシティ権が認められるか。

〇「物」にもパブリシティ権が認められるか。

〇 言論・表現・報道の自由との関係(出版物におけるパブリシティ価値の利用の問題等)。

…etc.

 

《参考》「マーク・レスター事件」(東京地裁S51/6/29)

『通常人の感受性を基準として考えるかぎり、人が濫りにその氏名を第三者に使用されたり、又はその肖像を他人の眼にさらされることは、その人に嫌悪、羞恥、不快等の精神的苦痛を与えるものということができる。したがって、人がかかる精神的苦痛を受けることなく生きることは、当然に保護を受けるべき生活上の利益であるといわなければならない。そして、その利益は、今日においては、単に倫理、道徳の領域において保護すれば足りる性質のものではなく、法の領域においてその保護が図られるまでに高められた人格的利益(それを氏名権、肖像権と称するか否かは別論として。)というべきである。けだし、社会構造が複雑化、高度化し、マスコミニュケーション技術が異常な発達を遂げた現代社会は、常に個人の氏名や肖像が多様な形式で他人に利用され、公表される危険性をはらんでいるが、かかる危険が高まるに従って、逆に各人の、その氏名や肖像を他人にさらさずに生きたいという願望が強くなるというのが、現代人に共通の意識と考えられるのみならず、我国の法制によって立つ個人尊重の理念は、かかる利益に対する不当な侵害を許容しない趣旨をも含むと解されるからである。かような人格的利益の法的保護として、具体的には違法な侵害行為の差止めや違法な侵害に因る精神的苦痛に対する損害賠償が認められるべきであって、民法709条にかかる違法な侵害を不法行為と評価することを拒むものと解すべき根拠は存しない。

ところで、上記に述べたような人格的利益に関する一般理論に、その主体が映画・舞台の俳優、歌手その他の芸能人、プロスポーツ選手等(以下「俳優等」という。)大衆との接触を職業とする者である場合には多少の修正を要するものと考えられる。

何故ならば、前記のような人格的利益は、それがアメリカ法においてはプライヴァシー法の一環として論じられていることからも明らかなとおり、人が自己の氏名や肖像の公開を望まないという感情を尊重し、保護することを主旨とするものであるが、俳優等の職業を選択した者は、もともと自己の氏名や肖像が大衆の前で公開されることを包括的に許諾したものであって、上記のような人格的利益の保護は大幅に制限されると解しうる余地があるからである。それだけでなく、人気を重視するこれらの職業にあっては、自己の氏名や肖像が広く一般大衆に公開されることを希望若しくは意欲しているのが通常であって、それが公開されたからといって、一般市井人のように精神的苦痛を感じない場合が多いとも考えられる。以上のことから、俳優等が自己の氏名や肖像の権限なき使用により精神的苦痛を被ったことを理由として損害賠償を求め得るのは、その使用の方法、態様、目的等からみて、彼の俳優等としての評価、名声、印象等を毀損若しくは低下させるような場合、その他特段の事情が存する場合(例えば、自己の氏名や肖像を商品宣伝に利用させないことを信念としているような場合)に限定されるものというべきである。

しかしながら、俳優等は、上記のように人格的利益の保護が減縮される一方で、一般市井人がその氏名及び肖像について通常有していない利益を保持しているといいうる。すなわち、俳優等の氏名や肖像を商品等の宣伝に利用することにより、俳優等の社会的評価、名声、印象等が、その商品等の宣伝、販売促進に望ましい効果を収め得る場合があるのであって、これを俳優等の側からみれば、俳優等は、自らかち得た名声の故に、自己の氏名や肖像を対価を得て第三者に専属的に利用させうる利益を有しているのである。ここでは、氏名や肖像が、上記で述べたような人格的利益とは異質の、独立した経済的利益を有することとなり(上記利益は、当然に不法行為法によって保護されるべき利益である。)、俳優等は、その氏名や肖像の権限なき使用によって精神的苦痛を被らない場合でも、上記経済的利益の侵害を理由として法的救済を受けられる場合が多いといわなければならない。』

【より詳しい情報→】http://www.kls-law.org/