人格権侵害が認められなかった事例(先行著作物であるノンフィクション作品を参照して創作されたフィクションが問題となった事例)

 

▶平成13年03月26日東京地方裁判所[平成9(ワ)442]

(注) 原告は、昭和16年、旧満州国の「新京」(現在の中華人民共和国吉林省長春市)に生まれ、幼少時に中国革命戦争下の共産党軍(八路軍)の長春包囲戦に巻き込まれ、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍の間に設けられた「?子(チャーズ)」において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況の中に置かれたという自らの体験をもとに、原告各著作物を著作した。

一方、被告は、月刊「文藝春秋」昭和62年5月号から平成3年4月号までに、「大地の子」と題する小説を連載して発表した。同作品は、被告により加筆された上、平成3年に株式会社文藝春秋から四六判の単行本として出版され、さらに平成6年文春文庫(一巻ないし四巻)から出版された。

 

七 人格権侵害の有無について

(一) 原告の人格に対する侵害及び原告の父親に対する敬愛追慕の情の侵害

原告は、前記記載のとおり主張する。その趣旨は、原告が自らの個人的な体験を記述、公表したところ、被告が、原告に無断で、これを被告小説に利用したのであるから、右行為は、違法性を有するということにある。

一般に、小説等を執筆するに当たって、既に公表された先行著作物を参照して、そこに記載された思想や事実を基礎として、作品を完成させることは、先行著作物に係る著作権を侵害しない限り、また、他人の人格権ないし人格的利益を侵害しない限り、原則として、許容されると解すべきことはいうまでもない。そして、第三者が、既に公表された先行著作物に記載された思想や事実を基礎として作品を完成させることが許されるか否かは、健全な社会通念に照らして、侵害されたとする他人の人格権ないし人格的な利益の性質及び内容、侵害したとする利用態様等を総合的に斟酌して判断すべきである。ところで、本件における発表者の静穏な感情のように、人格権ないし名誉権とまではいえない主観的な利益についても、同様に保護される余地があることはいうまでもないが、このような主観的な利益を損なう行為については、作品の利用態様等が社会的に許容できる限度を超える特段の事情が認められない限り、不法行為を構成すると解するのは相当でない。

本件において、原告が表現した中国大陸における悲惨な体験は、原告の人生に強い影響を与え、心の深い傷として残っていたこと、原告の父親に対する鎮魂、敬愛追慕の情が執筆の動機であったことなど特別な事情が存在することは容易に認められるが、そのような点を考慮にいれても、なお、被告が前記認定した内容及び態様で、被告小説を執筆、完成させたことが、社会通念に照らして、原告の人格権ないし静穏な感情、追慕の情を侵害する違法な行為であるということはできない。

この点に関する原告の主張は採用できない。

(二) その他の人格権侵害について

一般に、小説を執筆、出版するに当たって、①参考とした文献を掲記したり、②著作した動機を明らかにしたり、③既に公表されている書籍に記述された個人的な体験や事実をありのままに記述しなければならないと解する格別の理由はない。したがって、被告が、被告小説を執筆、出版するに当たり、①「(チャーズ) 出口なき大地」以外の原告各著作物を参考文献として掲記しなかったこと、②著作の動機を明らかにしなかったこと、③原告各著作物に記述された体験又は事実と異なることを記述したこと等の各行為が不法行為に該当すると解する余地はない。

この点に関する原告の主張は失当である。

(三) 以上のとおり、原告の人格権侵害の主張はいずれも理由がない。その他、原告は、るる主張するが、いずれも採用する限りでない。

【より詳しい情報→】http://www.kls-law.org/