ゲームソフト同士の侵害性が問題となった事例(総論部分)

 

▶平成14年11月14日東京地方裁判所[平成13(ワ)15594]▶平成16年11月24日東京高等裁判所[平成14(ネ)6311]

[控訴審]

(4) 本件共通表現の検討に当たっての前提となる基本的な考え方

トラキアの本質的な特徴が現れる部分についての上記認定を踏まえ,控訴人らが主張する本件共通表現について検討することとするが,その前提となる基本的な考え方は以下のとおりである。

(ア) 創作性の判断

前述したように,本件共通表現が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において共通するにすぎない場合には,翻案は成立しないと解すべきである。

著作権法上の著作物の要件である「創作性」については,著作権法に定義規定がないが,独創性を備えることまで必要であると解すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねないことや,創作性の有無を画する客観的な判定基準を求めることは難しいことなどを考慮すると,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば,創作性自体は認めることができるものと解すべきである。

ただし,創作性の程度には自ずと幅があるのは当然であるから,当該著作物の著作権を新たな著作物が侵害したといえるかどうかを判断するに当たっては,当該著作物の保護の限度を画する要素として,その創作性の程度を考慮することは当然必要になるものと解される。すなわち,創作性の高い著作物については,その保護の範囲は拡大し,著作者の個性は現れているものの極めてわずかな創作性しかない著作物については,保護の範囲は極めて狭小なものに限定されると解するのが相当である。

(イ) 本件共通表現の判断対象

控訴人らは,本件共通表現は,影像の動的変化と音を一つのまとまりとして連続影像で表現したものであるから,創作性の判断においては,一つのまとまりとして判断すべきであり,創作性を有する部分を創作性のない部分まで細分化して,その著作物性を否定すべきではないと主張する。

確かに,一つのまとまりのある著作物を細分化し,その各部分がアイデアないしありふれた表現にすぎないとして,全体としての創作性を否定することは誤りである。しかしながら,一つのまとまりのある著作物の創作性を判断するに当たり,その構成部分まで分解し,それぞれの構成部分を逐一考察して,創作性の有無程度を検討することは正当な分析方法である。控訴人らの主張は,まとまりのある一連の影像を構成する各影像の組合せに創作性を認める余地があるという意味では相当であるが,一つのまとまりのある著作物の個々の構成部分を考察すべきでないとの趣旨であれば失当というほかない(なお,控訴人らは,例えば小説や文章を単語のレベルまで細分化することの不当性をいうが,文章を構成するいくつかの単語が新規性と表現性に富んだ新造語であるため,全体の作品が創作性と表現性に富むこともあり,また,個々の単語に創作性がないとしても,例えば単語と単語という最小の組合せに特異性があれば(例えば「幸せのかたち」「小さい秋」などが初めて使われたとき等),創作性や表現性を十分に充足することになろう。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という小説中の一節も,使う単語を厳選して,無数の表現の中からできるかぎり簡明な表現を選択し,その余を読者の類似体験や豊かな感性に託すことにより,高い創作性や表現性を備えるに至ったものであると理解でき,個々の構成部分を考慮することが不要ないし不当とは到底いえないのである。)。

(ウ) 展開する影像の組合せと配列の著作物性

控訴人らが主張する本件共通表現は,いずれも一つのまとまりをもった連続影像による視聴覚的表現の総体であるが,後に検討するように,各共通表現は,いずれも,一連のまとまった表現として把握される複数の影像が,プレイヤーの操作・選択により,又はあらかじめ設定されたプログラムに基づいて,連続的に展開することにより形成されているということができる。例えば,共通表現(6)は,後記(5-6)のとおり,自軍ユニットの待機ポーズの影像,プレイヤーの操作によりカーソルが移動する影像,カーソルを自軍ユニットに合わせると吹出しが表示される影像,移動コマンドの選択により自軍ユニットがその場動きをする影像,移動・攻撃可能範囲の影像,当該ユニットが移動先に移動する影像,当該ユニットが移動を終えて待機ポーズに切り替わる影像が,連続的に展開することにより形成されている。このように,一つの大きなまとまりとしての表現が,その構成部分として把握することができる複数の影像の展開により形成されている場合には,これを構成する各影像自体の創作性及び表現性のみならず,その組合せ・配列により表現される影像の変化も,著作権法による保護の対象となり得るものであることは,上述のとおり,当然である。したがって,この点についても検討することが必要かつ相当である。

(エ) ルールの表現性

通常の映画の著作物と異なり,トラキアはゲームソフトであるから,当然のことながら,ルールが決められ,プレイヤーはルールに基づいてプレイする。例えば,トラキアでは死亡したユニットは生き返らないというルールがあり,それに基づいて,一度死亡したユニットはその後画面上に表示されないが,このようなゲームのルールはアイデアそのものであり,著作物ということはできず,ルールが具体的に表現したものがある場合に,はじめてその創作性等が問題となると解すべきである。

(オ) ユーザーインターフェース

ゲームソフトは,通常の映画と異なり,プレイヤーが参加して楽しむというインタラクティブ性を有しているため,プレイヤーが必要とする情報を表示し,又はプレイヤーの選択肢を表示するための画面(以下ではかかる意味で「ユーザーインターフェース」という言葉を用いる。)を表示する必要がある。このようなプレイヤーの便宜のための画面は,プレイヤーの操作の容易性や一覧性等の機能的な面を重視せざるを得ないため,作成者がその思想・感情を創作的に表現する範囲は自ずと限定的なものとならざるを得ず,特に特徴的あるいは独自性があると認められない限り,創作性は認められないというべきである。トラキアについていえば,ステータス表示,ユニットの一覧表示,縮小画面,会話を表示するための吹出し表示,名前等の情報を提供するための吹出し表示,コマンド選択のためのメニュー画面,武器メニューに関する画面,戦闘パラメータ表示,HPの数値の変化の表示,経験値の獲得の表示,クラスチェンジに伴う戦闘パラメータの変化の場面,アイテム交換の際のアイテムの表示画面等は,いずれもプレイヤーの判断に必要な情報を表示し,又はプレイヤーの選択肢を表示するものであるから,ユーザーインターフェースとしての性格を有しているというべきである。

(カ) 作風の同一性

本件では,トラキアの実際の制作に被控訴人Aがどの程度関与したかについては当事者間に争いがあるが,証拠によれば,被控訴人Aはトラキアについても実質的な責任者として関与し,トラキアも被控訴人ゲームも,被控訴人Aの個性が色濃く反映した作品であると認めることができる。被控訴人らは,トラキアと被控訴人ゲームの類似性は作風の同一性にすぎず,制作者が同一人物であることは翻案該当性を否定する方向で斟酌すべきであると主張するところ,確かに,著作権法上の保護は,このような作品の作風や傾向といった抽象的な部分にまでは及ばないと解されるので,1人のゲームクリエイターが関与した2つの作品を比較して翻案該当性を判断する際には,その作風の類似性を翻案該当性の基礎としないように留意する必要がある。

しかしながら,ゲームクリエイターがゲームソフトを制作するに当たっては,自らが以前に制作して現在は他の者に著作権が帰属する作品の翻案を行うべきでないことは当然であり,かつ,それは可能であると考えられる。したがって,原著作物と二次的著作物の実質的な著作者が同一であることは,翻案の判断基準に基本的な変更を迫るものではないと解される。

(キ) 相違点の考慮

翻案権とは,原著作物を利用して創作性を加え,別個の著作物を創作する権利であるから,二次的な著作物に新たな表現が付加されたからといって,直ちに翻案該当性が否定されるわけではない。しかしながら,新たな表現が付加されることにより,二次的な著作物が原著作物との同一性を失い,これに接する者が著作物全体から受ける印象を異にすると認められるときは,二次的な著作物から原著作物の創作的特徴を直接感得することはできないから,その二次的著作物はもはや原著作物の複製ないし翻案ということはできないと解すべきである。

【より詳しい情報→】http://www.kls-law.org/