ノンフィクション小説vs.劇場用映画

 

▶平成27年9月30日東京地方裁判所[平成26(ワ)10089]▶平成28年12月26日知的財産高等裁判所[平成27(ネ)10123]

(注) 本件は,原告が,被告に対し,被告の製作に係る映画(「本件映画」)は,原告の執筆に係る「性犯罪被害にあうということ」及び「性犯罪被害とたたかうということ」と題する各書籍(「本件各著作物」)の複製物又は二次的著作物(翻案物)であると主張して,本件各著作物について原告が有する著作権(複製権,翻案権)及び本件各著作物の二次的著作物について原告が有する著作権(複製権,上映権,公衆送信権及び頒布権),並びに本件各著作物について原告が有する著作者人格権(同一性保持権)に基づき,本件映画の上映,複製,公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布の差止め(同法112条1項)を求めるとともに,本件映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物の廃棄(同条2項)などを求めた事案である。

 

2 争点1(著作権〔翻案権・複製権〕侵害の成否)に対する判断

(1) 著作者は,その著作物を「複製する」権利を専有し(著作権法21条),また,その著作物を「翻訳し,(中略)脚色し,映画化し,その他翻案する」権利を専有する(同法27条)。複製とは,「印刷,写真,複写,(中略)その他の方法により有形的に再製すること」をいい(同法2条1項15号参照),翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらない(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。

すなわち,事実それ自体は,人の思想又は感情から離れた客観的な所与の存在であり,精神的活動の所産とはいえず,著作物として保護することはできない。ただし,歴史的事実や客観的事実であっても,これを具体的に表現したものについて,その表現方法につき表現の選択の幅があり,かつその選択された具体的表現が平凡かつありふれた表現ではなく,そこに作者の個性が表れていれば,創作的に表現したものとして著作物性が肯定される場合があり得るし,客観的事実を素材とする場合であっても,種々の素材の中から記載すべき事項を選択し,その配列,構成や具体的な文章表現に,著作者の思想又は感情が創作的に表現され,著作物性が認められる場合もあり得る。

したがって,本件各著作物と本件映画との間で表現上の共通性を有するものについては,その共通性(同一性)を有する部分が事実それ自体にすぎないときは,複製にも翻案にも当たらないと解すべきであるし,それが,一見して単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などからそこに筆者の個性が何らかの形で表現され,思想又は感情の創作的表現と解することができるときには,複製又は翻案に当たるというべきである(知財高裁平成25年(ネ)第10027号同年9月30日判決参照)。

また,著作権法27条は,著作物を「変形し,又は脚色し,映画化し」たりすることが「翻案」に該当することを明文で規定しているところ,そもそも言語の著作物と映画の著作物とでは,表現方法が異なり,言語の著作物を映画化した映画の著作物においては,登場人物の思考や感情などを表現するに際し,もとになった言語の著作物の表現をそのまま使用するのではなく,登場人物の行動,仕草,表情,構図,効果音などといった視覚的・聴覚的要素も加えた表現が用いられることが,むしろ通常であることをも考慮した上で,本件映画の表現(描写)に接した際に,本件各著作物の表現(著述)上の本質的な特徴を直接感得することができるか否かを判断すべきである。

以上の観点から検討する。

【(2) 別紙対比表4-1及び4-2の各エピソードについて

ア 別紙対比表4-1のエピソード3について

(ア) 別紙対比表4-1のエピソード3において,本件著作物1と本件映画とは,「翻案該当性」欄記載のとおり,②公園に駆け付けた元恋人(婚約者)が被控訴人(主人公)の様子に驚いて,誰かに何かされたのかと聞いたこと,③被控訴人(主人公)はうなずくことしかできなかったこと,④元恋人(婚約者)が,被控訴人(主人公)が性犯罪被害を受けたことを知ってやり場のない怒りで手近な物に当たる様子,⑤被控訴人(主人公)が元恋人(婚約者)に対して「ごめんなさい」と謝り続けたこと,及びその著述(描写)の順序が共通し,同一性がある。

なお,被控訴人は,「翻案該当性」欄記載のとおり,①被控訴人(主人公)が元恋人(婚約者)に助けを求めたことも,本件著作物1と本件映画とで共通する点として主張するが,本件著作物1では,被控訴人が元恋人に電話を掛け,電話越しに異変を察知した元恋人が被控訴人の状況を確認しようとし,その場にいることを命じたという,助けを求める具体的な場面が著述されているのに対し,本件映画では,婚約者が息を切らしながら走っていることの描写と上記②~⑤のやりとりを通じて,主人公が元恋人に助けを求めたことが暗に表現されているのであるから,言語の著作物と映画の著作物との表現形態の差異を考慮しても,本件著作物1における被控訴人が元恋人に助けを求める場面の著述と共通する描写が,本件映画においてなされているものと認めることはできない。

(イ) そして,前記(ア)の本件著作物1の著述中の同一性のある部分(以下「本件著作物1-3の同一性ある著述部分」という。)は,それぞれの著述だけを切り離してみれば,事実の記載にすぎないようにも見えるものの,本件著作物1-3の同一性ある著述部分全体としてみれば,自ら助けを求めた元恋人から尋ねられたにもかかわらず,性犯罪被害に遭った事実を告げることができず,うなずくことと「ごめんなさい」を繰り返すことしかできない性犯罪被害直後の被害女性の様子と,助けを求められて駆け付けたにもかかわらず,何も助けることができなかったというやり場のない怒りを,大声を出すことと物にぶつけるしかない元恋人の様子とを対置して,短い台詞と文章によって緊迫感やスピード感をもって表現することで,単に事実を記載するに止まらず,被害に遭った事実を口に出すことの抵抗感や,被害に遭ってしまった悔しさ,やるせなさ,被害者であるにもかかわらず込み上げてくる罪悪感をも表現したものと認められる。

そうすると,本件著作物1-3の同一性ある著述部分は,被控訴人が被害を受けた当事者としての視点から,前記②~⑤の各事実を選択し,被害直後の被控訴人の状況や元恋人とのやりとりを格別の修飾をすることなく短文で淡々と記述することによって,被控訴人の感じた悔しさ,やるせなさ,罪悪感等を表現したものとみることができ,その全体として,被控訴人の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。

(ウ) 本件映画のうち,別紙対比表4-1のエピソード3の本件映画欄の描写(ただし,「公園近く・路上(夜)」から「公園の入口が視界に飛びこんでくる。」までの冒頭3行を除く。)は,前記(ア)認定の表現上の共通性により,本件著作物1-3の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画の上記描写に接することにより,本件著作物1-3の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるから,本件著作物1-3の同一性ある著述部分を翻案したものと認められる。

(以下略)

【より詳しい情報→】http://www.kls-law.org/