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芸能人に対するインタビュー記事を著作したのは誰か

 

▶平成10年10月29日東京地方裁判所[平成7(ワ)19455]

二 争点2(著作者・著作権者)について

1 著作者とは「著作物を創作する者」をいい(著作権法2条1項2号)、現実に当該著作物の創作活動に携わった者が著作者となるのであって、作成に当たり単にアイデアや素材を提供した者、補助的な役割を果たしたにすぎない者など、その関与の程度、態様からして当該著作物につき自己の思想又は感情を創作的に表現したと評価できない者は著作者に当たらない。そして、本件において原告らがその著作物であると主張する原告記事のように、文書として表現された言語の著作物の場合は、実際に文書の作成に創作的に携わり、文書としての表現を創作した者がその著作者であるというべきである。

また、法人等の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものについては、別段の定めがない限り、その法人等が著作者となる(著作権法15条1項)。右の「法人等の業務に従事する者」には、法人等と雇用関係にある者だけでなく、法人等との間に著作物の作成に関する指揮命令関係があり、法人等に当該著作物の著作権を原始的に帰属させることを前提にしている関係にある者も含まれると解される。

2 これを本件についてみるに、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(略)

(三)原告記事は、記事本文のほか、タイトル、見出し、原告個人らの写真、略歴の記載等により構成されており、本文部分は、原告記事⑤及び⑨を除き、原告個人らの発言を主として記載した体裁になっている。

すなわち、原告記事①ないし④、⑧、⑩ないし⑭は、個人原告らの発言をそのまま文章化した形になっている(このうち原告記事①ないし④、⑧及び⑩の冒頭部分には執筆者のコメントが付されている。)。原告記事⑦は、執筆者の発問を受けて、原告個人らが二人ずつ対談するという形式である(なお、原告記事⑪の後半は、原告Aと原告Eの対話形式になっているが、これは執筆者が右両名に別々にインタビューした内容をまとめたものである。)。原告記事⑥及び⑮は、原告個人らの発言として記載された部分と執筆者の意見や感想とが一体化した文章となっている。原告記事⑯には、原告個人らの発言のみを記載した部分、執筆者の意見や感想が挟み込まれた部分、第三者との対談形式の部分、第三者のコメントを記載した部分等がある。原告記事⑰は、執筆者の原告個人ら全員に対するインタビューの部分、原告個人ら各人への一問一答等から成っている。

これらに対し、原告記事⑤及び⑨は、その記事の対象となる原告個人らに関する第三者の発言を軸に、執筆者自らの意見や感想を交えて文章化したものであり、作成に当たり原告個人らへの取材は行われていない。

(四)原告記事を掲載した雑誌には、原告出版社らの名称がそれぞれ記載されている。また、原告記事⑮及び⑯以外については、当該原告記事を掲載した雑誌の裏表紙に、著作権の帰属を示す「(C)」マーク並びに各原告出版者らの名称及び当該雑誌の発行年の表示がある。

3 右認定の事実を総合すれば、実際に原告記事の文書の作成に携わり、これを創作したのは、各記事の執筆者であるということができるが、各執筆者は、原告出版社らから記事の作成を依頼され、その指揮命令に従いながらこれを執筆したのであり、しかも、原告出版社らに原告記事の著作権を原始的に帰属させるという認識であったのであるから、原告記事は、いずれも原告出版社らの発意に基づきその業務に従事する者がその職務上作成した著作物であると認められる。また、原告記事が原告出版社らの著作名義の下に公表された点は被告らの争うところではなく、原告記事の著作者を誰とするかに関し別段の定めがあったことをうかがわせる証拠はない。したがって、原告主婦と生活社は原告記事①ないし⑩の、原告扶桑社は原告記事⑰の、原告学習研究社は原告記事⑪ないし⑭の、原告マガジンハウスは原告記事⑮及び⑯の著作者であると認められる。

4 原告らは、前述のとおり、原告個人らも原告記事の著作者であり著作権者であると主張するので、この点につき検討する。

(一)原告記事⑤及び⑨は、右2(三)で認定した記事の体裁に照らし、原告個人らがその著作者又は著作権者でないことは明らかである。

(二)右以外の原告記事は、その体裁上、原告個人らの発言を主たる内容として構成されているところ、インタビュー等の口述を基に作成された雑誌記事等の文書については、文書作成への関与の態様及び程度により、口述者が、文書の執筆者とともに共同著作者となる場合、当該文書を二次的著作物とする原著作物の著作者であると解すべき場合、文書作成のための素材を提供したにすぎず著作者とはいえない場合などがあると考えられる。すなわち、口述した言葉を逐語的にそのまま文書化した場合や、口述内容に基づいて作成された原稿を口述者が閲読し表現を加除訂正して文書を完成させた場合など、文書としての表現の作成に口述者が創作的に関与したといえる場合には、口述者が単独又は文書執筆者と共同で当該文書の著作者になるものと解すべきである。これに対し、あらかじめ用意された質問に口述者が回答した内容が執筆者側の企画、方針等に応じて取捨選択され、執筆者により更に表現上の加除訂正等が加えられて文書が作成され、その過程において口述者が手を加えていない場合には、口述者は、文書表現の作成に創作的に関与したということはできず、単に文書作成のための素材を提供したにとどまるものであるから、文書の著作者とはならないと解すべきである。

これを本件についてみるに、原告個人らが、発言がそのまま文書化されることを予定してインタビューに応じたり、記事の原稿を閲読してその内容、表現に加除訂正を加えたことをうかがわせる証拠はなく、かえって、前記認定の原告記事の作成経過からすれば、原告個人らに対するインタビューは、原告出版社らの企画に沿った原告記事を作成するに際して、素材収集のために行われたにすぎないものと認められる。

(三)したがって、原告個人らを原告記事の著作者ということはできない。

5 以上によれば、原告主婦と生活社は原告記事①ないし⑩につき、原告扶桑社は原告記事⑰につき、原告学習研究社は原告記事⑪ないし⑭につき、原告マガジンハウスは原告記事⑮及び⑯につき、それぞれ著作権及び著作者人格権を有すると認められる。

他方、右のとおり、原告個人らが原告記事につき著作権又は著作者人格権を有すると認めることはできないから、原告個人らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がないというべきである。

 

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