英文の自然科学論文の侵害性が問題となった事例

 

▶平成16年11月04日大阪地方裁判所[平成15(ワ)6252]▶平成17年4月28日大阪高等裁判所[平成16(ネ)3684]

1(1) 言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものである(2条1項1号参照)から,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成13年6月28日判決参照)。

なお,既存の著作物に依拠し,その表現上の本質的な特徴の同一性のあるものを作成する行為のうち,新たな思想又は感情の創作的な表現が加えられていない場合は,複製に当たる。

(2) そうすると,被告論文に,原告論文に記載されているのと同一の自然科学上の知見が記載されているとしても,自然科学上の知見は表現それ自体ではないから,このことをもって直ちに被告論文が原告論文の複製又は翻案であるとはいえず,原告の著作者人格権が侵害されたということもできない。被告が被告論文を作成し,発表したことが,原告論文についての原告の著作者人格権としての氏名表示権ないし同一性保持権を侵害したものであるか否かを判断するためには,原告論文の表現と被告論文の表現とを対比するのが相当であって,両論文に記載されている自然科学上の知見,すなわち研究の過程や成果についての内容を対比すべきものではない。

原告論文及び被告論文は,いずれも英文の論文であり,対比すべきは上記のとおり両論文の記載内容ではなく表現それ自体であるから,その対比は,原文である英文同士で行うのが相当である。

これに対し,原告は,実験分野の論文では,何よりもその表現によって裏付けられている論理の過程そのものがより重要な要素であるから,表現上の相違があるからといって著作者人格権を侵害していないとはいえないなどと主張するが,上記主張は前記説示に照らして採用することができない。

(3) また,前記のとおり,表現それ自体の同一性が認められる場合であっても,当該記述が,表現上の創作性がないものであるときには,当該記述は著作権法の保護を受けることができない。

自然科学論文,ことに本件のように,ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告として,その実験方法,実験結果及び明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を記述する論文は,同じ言語の著作物であっても,ある思想又は感情を多様な表現方法で表現することができる詩歌,小説等と異なり,その内容である自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために,論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり,抽象的であいまいな表現は可能な限り避けられなければならない。その結果,自然科学論文における表現は,おのずと定型化,画一化され,ある自然科学上の知見に関する表現の選択は,極めて限定されたものになる。

したがって,自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は,一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において,特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別,単に実験方法,実験結果,明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは,直ちに表現上の創作性があるということはできず,著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。

これに対し,原告は,自然科学上の知見の表現においては,表現技法は,論理性,一義性,明確性等の要請があり,当該自然科学上の知見を一般的に認識し得るようにするための論理的かつ簡潔な表現技法も,著作権法上保護されるべきものであると主張する。

しかしながら,原告主張のような表現技法について著作権法による保護を認めると,結果的に,自然科学上の知見の独占を許すことになり,著作権法の趣旨に反することは明らかである。

したがって,原告の上記主張は,採用することができない。

(4) さらに,原告は,複数の研究者で共同研究した場合の研究成果については,個々の研究者がその役割に応じて,論文発表に際しては当然に共同執筆者としての地位が与えられるべきであり,研究者の了解なく,その氏名を表示せずに論文を発表することは著作者人格権としての氏名表示権及び同一性保持権を侵害するものであるとも主張する。

確かに,証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件研究において原告が相当程度の役割を果たし,原告が得た研究成果の一部が被告論文に反映されていることが認められ,これによれば,被告論文が原告論文に依拠していると考えられなくはないが,原告が本件研究の共同研究者であるという一事をもって当然に被告論文の共同著作者の地位を取得するということはできず,上記主張は独自の見解であって採用することができない。

2 以上の見地から,原告論文と被告論文とを原文(英文)同士で対比して検討すると,以下のとおり,原告論文のうち原告が両論文が類似している点として主張する部分は,表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)を除けば,表現上の創作性があるとは認められず,また,そうでないとしても,原告論文と被告論文は,表現上の本質的な特徴の同一性があるということができないか,類似しているとはいえない。

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