お肌のために何かしている?
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恐ろしいほど何もしてません。
元々オレンジ肌だったので、肌関連は色々諦めちゃって。
あえて言えば脂を残さないようにする、これくらいかな。
20180418
ちょい寒いのが戻ってきたかな、と思ったら。
単に半袖がキツイだけの話なのでした、天気いいのに温もりー。
クソアニメの話。
先日怖いもの見たさに覇穹封神演義を見たのです。
スタッフ発表から色々ゴタゴタがあり、高橋ナツコなる人がトラブルメーカーな脚本家ということは耳には入っていたのですが、なかなか腰が上がらなかったのです。
いや、フジリュー割と好きだけどさ、何となく元々アニメ動かすの辛そうなデザインと弄りにくい話の構成じゃないですか。
でも、あまりの阿鼻叫喚ぶりにクソ作品愛好家としては観ておかないと、と思い見ましたよ。
視聴後、思ったのは。
「これはやり手監督でも無理な脚本だわ」
という、ダメ作品特有の手直しドリル思考の気持ちの整理。
しかも、タイムシートとか今から勉強しなおせと納品拒否する以外の対策が見つからない類のどうしようもなさ。
気分はバカ社長の不始末を尻拭いしなきゃいけない社畜、なんでお客様なのにこんなことしなきゃいけないのかと悩む感じのダメ気分。
なんで娯楽で地獄を味わないといけないんだろう…
最近クソアニメの代名詞として「ポプテピピック」というのがありますが、あちらはうんこを食わされたようなフレーバーや形状のれっきとしたカレー、つまり食べ物としてはちゃんとしてる@おそ松さんなんですよ。
対してこちらは、カレーですと嘘全開で主張するものの味もなにも単なる本物のうんこ、食べ物ですらない精神の排泄物、と言うべきか。
この差はどこで決まるのやら。
一つには雑な仕事の人間でも生き残れる世界と博打前提の脚本界の相性がよくないこと。
インフラ整備の業界ではある程度出来ればなんとか食っていけるのは割と幸せな世界だと思うのですが、雑な娯楽が溢れている世界って割と不幸ですよね?
娯楽が完全に社会のインフラ化してるからこういう雑な作品が増えてるんだけど、それって楽しい?と娯楽の根源を問われる時期に来てるんじゃないかと。
彼女関連の記事で「作り手が完成させる達成感を感じるためだけの企画のせい」という意見があったけど、少なくとも20世紀にはその企画でもいい作品はあったので、問題はそこじゃない気はします。
例えばの話ですが、歴代のアニメ監督というのは皆独自のテンポや動き、センスを持ち合わせています。
それは有名になるまでにいくつかの作品製作を通して「こういうやり方で言いたいことを表現しよう」とコンマ数秒クラスの自分の快楽に合わせた感覚でコツコツ極めていきます。
アニメに限らず映像というのはそういう快楽原則を前提に作られている…はずなんですが、どうもこの作品にはその原則をわざと外しているのか!と感じる場面が多々あります。
多分、スタッフがその基本の快楽原則すら共有していない可能性があると思うのです。
せいぜいあっても一枚絵のそれくらいで、アニメに必須な動きやカットセンスすら不快の領域。
快楽原則の欠落した映像がどれだけ地獄かは、「クソ〇〇」で検索して閲覧すればよくわかるかと。
その原因にシリーズ構成の脚本の打ち合わせ不足(うどんの監督の話聞くと、自分が怒られない為に脚本をワザと打ち合わせ直前まで遅らせてるらしいですね)があってスケジュールを圧迫させてるとか…しかも業界では当たり前だと言い訳っ!
これ、生真面目にいきている社会人、特に相手の反応に敏感なサービス業ほど頭にくる案件だと思います。
あとは「立ち回りの上手い私ってなんて成功者!」な女性にありがちな大いなる勘違いもあるとは思うんですが、去年の小保方ネタとか15年のメアリースーネタの繰り返しになるんで、実力のある作家さん達のためにも止めておきます。
しかし、高畑さんも鬼籍に入ったしジブリも解散したし、このままアニメ界もこういう輩のせいでダラダラ質が低下してくのかなあ、と思うと悲しくなりますね。
面白い、がそろそろ呪いになる虚無感を感じます
…全てが実写版デビルマンクオリティの娯楽って虚無だよな。
てなわけで、続く。