自民、公明両党は9日午前、一川保 夫防衛相と山岡賢次国家公安委員長(消費者担当相)に対する問責決議案を野党勢力が多数を占める参院に提出した。いずれも午後の参院本会議で採決され、野党の賛成多数で可決される見通し。問責決議案には法的拘束力はなく、野田佳彦首相は2人を続投させる方針だが、自公両党は来年1月召集の通常国会で両閣僚が関係する審議には応じない構え。このため冒頭からの紛糾は避けられず、首相側では年明けにも内閣改造を行い、2人を交代させる案も浮上しているが、難しい政権運営を迫られそうだ。  自公両党は問責決議案 提出の理由について、一川氏に対しては、ブランド コピー ルイヴィトン コピールイヴィトン バッグルイヴィトン 財布ルイヴィトン 財布 コピールイヴィトン バッグ コピーコピー ブランド 不適切発言で更迭された前沖縄防衛局長への監督責任や、平成7年の米海兵隊員らによる少女暴行事件について「詳細には知らない」と答弁したことを問題視した。山岡氏をめぐっては、マルチ商法(連鎖販売取引)業者との密接な関係などから、消費者担当相の任にはたえないとしている。  山岡氏に関しては、社民党が棄権するものの、可決は確実な情勢。山岡、一川両氏とも9日午前の記者会見で、辞任する考えがないことを強調した。  首相は9日夕、臨時国会閉幕を受け、今後 の政権運営などについて記者会見する。  一方、みんなの党は「(両氏を閣僚に起用した)首相の任命責任は極めて重大だ」などとして、自公両党とは別に首相の問責決議案を提出した。だが、自民党など他の野党は一川氏ら2閣僚に対する問責決議案の採決を優先させ、9日の参院本会議に上程されなかった。
旧住宅金融専門会社(住専)大口融資先の資産隠し事件で、強制執行妨害罪に問われた弁護士安田好弘被告(64)の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は6日付で検察側、被告側双方の上告を棄却する決定をした。一審無罪判決を破棄し、ほう助罪の成立を認めて罰金50万円の逆転有罪とした二審東京高裁判決が確定する。
 田原睦夫裁判官(弁護士出身)は「共謀の成立や犯意の認識に合理的な疑いがある」として、無罪とする反対意見を述べた。
 安田被告は、顧問先の不動産会社元社長=ブランド コピー ルイヴィトン コピールイヴィトン バッグルイヴィトン 財布ルイヴィトン 財布 コピールイヴィトン バッグ コピーコピー ブランド 有罪確定=らに、所有ビルのテナントからの賃料振込先を実体のない2社に移すよう指示し、1993~96年に計約2億円の資産を隠したとして、起訴された。
 一審東京地裁は、安田被告の提案は資産隠しの指示ではなかったと判断。指示を認めた関係者の供述は内容が不自然で、重要な点で変遷があるとして信用性を否定し、無罪を言い渡していた。
 一方、二審東京高裁は、関係者供述について「核心部分は十分信用できる」として、安田被告の関与を認定。その上で、実行行為を行ったのは元社長らで、安田被告はほう助犯にとどまるとして、懲役2年の求刑に対し罰金刑を選択していた。 
J1川崎のエースとして君臨し、今季限りで退団するFWジュニーニョ(34)の「送別会」が6日夜、川崎市の等々 力陸上競技場で開かれた。冷たい雨が降る中、詰めかけた約3300人のサポーターは、「川崎の太陽」として愛されたブラジル人との別れを惜しんだ。【江連能弘】

 ジュニーニョは川崎の成長曲線とともに歩んだ存在だった。03年、ブラジルの名門パルメイラスから当時J2だった川崎に入団すると、圧倒的なスピードでゴールを量産。04年はJ2得点王の活躍でチームをJ1昇格に導き、07年にはJ1得点王に。チームはこの間、主要タイトルに届かなかったが、J1上位の力を備えるまでになった。J1通算207試合出場で110得点は歴代5位。川崎の公式戦では9年間の通算355試合で214得点を記録した。

 実力は誰しもが認めるが、簡単に見えるシュートを外したり、同僚のFW鄭大世(現ボーフム=ドイツ)とPK のキッカーを奪い合ったり……。新シーズンの始動時には遅れて合流するなど周囲を何度もヤキモキさせた。しかし、ブランド コピー ルイヴィトン コピールイヴィトン バッグルイヴィトン 財布ルイヴィトン 財布 コピールイヴィトン バッグ コピーコピー ブランド それも含めて、どこか憎めない存在だった。08年には実現しなかったが、日本国籍取得による代表入りも取りざたされた。

 U22(22歳以下)日本代表監督で、ジュニーニョを6年間指導した関塚隆・元川崎監督は「日本人選手は彼とやることで伸びた。ピッチ外ではコントロールに苦労したけど……」と送別会にビデオメッセージを寄せ、同期入団の日本代表MF中村憲剛は「今の自分があるのはジュニのおかげ。同じイメージがここまでシンクロ(一致)した選手はいなかった」と話した。

 来場者一人一人と握手をした背番号「10」は、「この9年間、皆さんと過ごせたことは幸せだった。皆さんの優しさは一生忘れない」と涙を流した。現在、日本国内や中国、カタールから獲得オファーが届いているとい い、天皇杯全日本選手権には出場せず、8日に母国への帰国の途についてから進路を決めるという。

 「選手としてプレーし続けたい。どこに行ってもフロンターレのサポーターは温かく見守ってくれると思う」と話し、慣れ親しんだ等々力に別れを告げた。