ようやくの仕事閑散期に、羽を伸ばしきって旅している、管理人“tatsu_peng”。
香川県は高松市内のビジネスホテルで目覚めた、tatsu_peng。
この日も、外は快晴の青空です。
tatsu_pengの日頃の行いが良い、とは決して思えませぬが。w
tatsu_pengが宿泊するビジネスホテルは、朝食バイキングが無料サービスなんです。
しかしながら、この日は無料の朝食を子供たちだけに食べさせることにして、
オトナは朝から讃岐うどんとします。
香川に来たんだもん、やっぱ朝からうどんだよね。
ってことで、朝からは高松市にあります“一福(いっぷく)”さんへと向かいます。
前回、お店には訪れながら、改装中(?)の臨時休業で涙を飲んだんですよね…。
今回は、無事に営業されてました。

かなり混雑するお店らしいのですが、開店直後の午前10時頃に訪れておりますので、
店内はまだ、他のお客さんもまばらな状況でして。
改装直後なんでしょうか、キレイな座敷席もあり、子供用の小さなイスや取り皿まで
用意されている、という子連れに優しいお店、でした。
このあたり、ありがたいっす。
tatsu_pengがオーダーしたのは、2玉の温かい“かけ”が300円に加えて、
これまた2玉の冷たい“ぶっかけ”が330円と、1玉の“釜玉”が280円の、合計3つ。

これに加えて、1コ100円の“ちくわ天ぷら”と“えびのかき揚げ”を取ってきました。
…朝から食い過ぎ、って。w
讃岐うどんの食べ歩きをされている方は、オーダーするのは小(1玉)のみで
何軒もハシゴしちゃう、というパターンも多いか、と思われます。
しかしながらtatsu_peng、1日に訪れるのは、朝~夜までかけても4軒が限度。
ま、1軒でこれだけ食したら、ハシゴも短い(?)よね、って思われそうですが…。
せっかく訪れたんだし、いろんなメニューを食さねばっ。w
冷たいメン、温かいメン、釜揚げメンと、できれば全部試してみたいんです。
良くできたメンは、それぞれに違う表情を見せてくれますし…。
ただの欲張りです、ハイ。
子供たちに取り分けてあげたあと、ガンガンズルズルと食します。
う、美味いっす。w
メンはかなり細いものの、しっかりとしたコシがあります。
細メンでも、ここまで頑張れる(?)んだ、と再認識させてくれる美味しさです。
“tatsu_pengオリジナル・讃岐うどんのお店ランキング”の上位が変動した瞬間でした…。
ブログにアップするつもりはありませんけど。w
ちなみに、釜玉を一玉でオーダーしたのは、理由がありまして…。
1コの卵でコーティングできるのは、うどん1玉が限度。
二玉(大)以上にしちゃうと、どうしても卵の味が薄くなってしまいます。
釜玉をこよなく愛するtatsu_pengとしては、味のバランスも考慮しての選択なんです。
…って、エラそうに能書き垂れてますが。w
ま、味の好みは人それぞれ、ってことで。
なお、この釜玉に使われている釜揚げメンにも、十分なコシが残っていて美味でした。
次男の駿クン(2歳5ヶ月)も、朝にホテルでパンをガッツリ食したとは思えないほどの
食欲を見せてくれまして。

豪快にうどんをすする見事なまでの食べっぷりに、感心しちゃう親バカtatsu_pengです。
さて、子連れにも優しいし、なにより肝心のうどんも超美味な一福さんですが、
席に自由に持って行ける灰皿が置いてあったのが、非常に残念です。
全席禁煙でも、文句は出ないと思われますが。
tatsu_pengが訪れている間、タバコを吸われる方は誰もいらっしゃらなかったのが
幸いなのですが。
このあと、もう一軒うどんのハシゴをしてから、“高松港”へと向かいます。
JR高松駅&港付近は、駐車場料金も高いんだろうな、と覚悟しつつ探してみますと、
なんと、港に近い“サンポート高松”のすぐそばに、無料駐車場がありました。
公式ガイドブックには記載されてる、かも…。
軽く100台以上は駐車できそうなスペースが、バッチリ確保されています。
ただ、あくまでも“瀬戸内国際芸術祭 2013”に訪れた方専用の無料駐車場ですので、
利用する際には、作品鑑賞パスポートなどが必要となりますが。
昨日、3シーズンパス買ったもんね。w
路面は舗装されておらずダートですが、タダに勝るもの無し、でしょう。
この日、高松港から向かうのは“大島”でして。
あ、全国各地に同名の島は多数存在しているんですが、今回は高松市沖の大島です。
…勘違いされない、か。
さて、この大島には“国立療養所 大島青松園”という医療施設がありまして。
大島へ向かうには、この大島青松園さんが所有する“官有船”に乗船しなければなりません。
芸術祭期間中に乗船するためには、高松港旅客ターミナルビル1階部分に開設されている
“高松港総合インフォメーションセンター”で発行される整理券が必要となりまして。

乗船定員を超えちゃうと乗れないそうですので、このような整理券が必要なんです。
この日が平日だったからでしょうか、高松港13時55分発の便が出港する40分前でも、
余裕でゲットできました。w
なお、乗船料金は官有(=国の所有物、ってことです。)の船につき、無料です。
ま、tatsu_pengも、バッチリ税金払ってますし…。
税金のささやかなる還付だと思って、ありがたくタダで乗船させていただきます。
高松港からは、わずか25分で大島に到着します。
到着後、まずは“こえび隊”さんのツアーに参加する、という形式で島内を巡ります。
そのあと、ようやく自由行動できる時間となりまして。
約2時間弱という滞在時間で、このツアーの所要時間が約1時間…。
もうちょっと、自由時間が欲しいけど…。
あ、こえび隊ってのは、瀬戸内国際芸術祭2013のボランティアサポーターさんたち
のこと、でして。
昨日訪れた“豊島”でも、各アート作品前などで活動されておりました。
ツアー参加者のタグを首にかけた、長男の優歩クン(3歳3ヶ月)です。

さて、この大島の歴史、なんですが…。
昔、実質的にハンセン病患者さんたちの強制隔離島でした。
ハンセン病(かつては、らい病と呼ばれてました。)の原因細菌であるライ菌は、
1873年にノルウエ-人の医師でありますアルマウェル・ハンセンが発見しました。
残念ながら、戦前は効果的な治療法がなく、適切な治療を受けられない場合は
体の末梢神経がマヒしたり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴で、
病気が進行すると容姿や手足が変形してしまうことから、かつて患者さんたちは
強い偏見や差別を受けられたそう。
そのうえ、ハンセン病は空気感染する、と恐れられていたことから、 日本全国に
療養所がつくられ、患者さんたちは半強制的に隔離されていたそうです…。
“らい予防法”という法律に基づいて。
そのうちのひとつが、ここ大島につくられた大島青松園さんでした。
戦後、特効薬の開発などで、後遺症まで進展することはなく治癒する病気になりました。
しかしながら国は、1996年に“らい予防法の廃止に関する法律”が制定されるまで
約90年に渡って、このような患者さんたちの強制隔離政策を続けまして。
法律廃止、遅きに失してます。
その間に、患者さんたちの高齢化が進むのは当然のこと、です。
ちなみに、療養所に入所している方々の生活は、国費により賄われておりまして。
そして2001年、800~1,400万円という額の補償金が支給されるという
“ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律”が制定。
一生療養所から出られない、実名を名乗ることができない、子供を産めない、
死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない…などのハンセン病に対する理解不足による
偏見で、様々な苦しみを味わわされてきた代償です。
奪われた時間を考えると、安い金額だと思われ。
そんな負の歴史がある大島を、こえび隊のお姉サマに付いて歩きます。
前回、2010年に開催された芸術祭の会期期間中、3か月あまりの間に
大島には4812人が来島された、ということです。
以前より大島に上陸したかったtatsu_pen、この芸術祭を狙って訪れました。
こんなチャンスがなきゃ、なかなか来られませぬ…。
大島に住んでおられるのは、大島青松園に入所されている方々と、その関係者のみ。
島内の道路は、ほとんどが舗装されていてキレイに整備されております。
中央線かな、と思わせる白いペンキ、実はハンセン病は眼にも悪影響を及ぼすため
目の悪くなってしまった方々が、このペンキを目印に道路を歩かれるそうでして。

ハンセン病の元患者さんたちが大多数ですので、万が一、感染の危険性があるかも、
と考えて、いろいろとリサーチしてみたのですが…。
ハンセン病で外見ではかなり重症化されていても、病気としては完全治癒しており
現在では、体の中にライ菌は全くいない状態だそうです。
未治療の患者さん、大島にはおられません。
ってことで、今では当然ながら、安心して訪れることができます。w
こえび隊ガイドツアーは“納骨堂”に到着します。
大島青松園が開園された明治42年以来、2,100名以上の方々が亡くなられたそう。
その多くが、この場所に入られているようで…。

ガイドツアー一行は、ここで黙祷いたします。
ここには、宗教や宗派も関係なく埋葬されている、とのことでした。
安らかに眠ってください…。
優歩クンも、いつになく神妙な面持ちで、小さな手をあわせてました。
黙祷後、こえび隊ガイドツアーはさらに島内を歩きます。
フシギなことに、小さな島に居るという感覚は全く無く、海沿いの集落を
歩いているような錯覚がします。
やはり雰囲気は違います…いろんな意味で。
次に向かうのが、島の北側に位置します“火葬場”です。

画像手前は、慰霊塔“風の舞”のひとつ、天上というモニュメントです。
平成4年に作製されたという、亡くなられた方々を火葬にし、納骨した残りの骨を
治めている場所なんです。
亡くなっても故郷のお墓に帰れない人がほとんどだった、昔の大島。
「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように。」
という願いが込められて、海に向かって据えられております。
不幸にも、ハンセン病に罹患してしまった肉体という呪縛と、法律により半強制的に
大島から出られなくなった不幸と、理解不足による周囲からの偏見の目などから…。
無事、解放されてますように…。
tatsu_pengも、ただただ、祈ることしかできませんでした。
こえび隊ガイドツアーの最終地点は、コチラの場所です。
昭和30年頃まで使われていたという、ハンセン病患者さんたちの“解剖台”前です。

あくまでもtatsu_pengの目には、無造作に(失礼…。)置かれているだけの解剖台を
見た瞬間、背中に寒気に近い電流が走りました。
ってか、今この画像を見ているだけでも、いまだに心がワサワサと揺さぶられます。
これ、公開していい代物なんでしょうか…。
フジツボが浸食した跡があるのは、今から30年ほど前に解剖室を解体された際、
不要になったこの解剖台を、海岸に捨てられてしまったから、でして。
ハンセン病患者さんたちの遺体解剖は、かつて全国の療養所で行われた歴史があり、
大島青松園さんでも、昭和30年頃まで遺体を解剖されていたようで。
実際、この解剖台で医学の進歩、という名の下で死後解剖されてしまわれた方々が
何名いらっしゃったのかは、明確な資料が残っておりませんので不明です。
こえび隊ガイドツアーのお姉サマからは…。
「解剖台の公開は、入所者の皆様との話し合いで決めました。」
との説明がありましたが…。
現在、暮している方々の感情しか考慮されてませんがな。
あくまでも仮定のハナシ、なんですが。
もしtatsu_pengが、30年以上前にハンセン病に罹って、ここ大島青松園さんで死亡し
死後、この解剖台の上で解剖されていたとしたら…。
この公開という名の展示は、絶対に許せませぬ。
この公開を報道した新聞記事をいくつか読みましたが、そのほとんどが
「悲しい歴史」という表現をされておりました。
悲しいのは、残された人の感情でしょうが。
もちろん、医学の進歩のために自ら進んで解剖された方々もおられたはず、ですが、
この上で実際に解剖されてしまった方々は、悲しみよりむしろ怒り、という感情が
強かったのではないかな、とtatsu_pengは想像します。
死後、解剖されてしまった方々の真意、定かではありませんが…。
実際に解剖されずとも、もし身内や親友が解剖されていたとしたら、ただ悲しむだけでは
修まらず、もっと攻撃的な心境になってしまうかもしれません。
一応、簡易的な屋根こそあるものの、ただ砂の上に置かれているだけの解剖台に、
亡くなられた方々に対する尊厳を守ろう、という意図は、ほとんど伝わってきません。
この状態で、芸術という名を借りた“ミセモノ”として展示し続けるのは、反対です。
もっと、違う保存方法があるはず…。
今、この場所に、この状態で置かれてしかるべきものじゃない、と強く強く思います。
しかしながら。
解剖台を実際にこの目で見てから、ハンセン病と大島の歴史を改めて勉強しなおした
tatsu_pengが、このようにブログで反対意見を発信することも、あえて解剖台を
公開される、という、勇気のある決断をなされたから、でしょうか。
…死者に対する勇気がある、って、度胸がある行為ですな。
今更ながら、大島青松園さんを含むハンセン病隔離施設でお亡くなりになられた
方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、この解剖台がこのような状態で
公開(ってか、芸術祭会期外は放置、でしょうが…。)され続けないことを願います。
tatsu_pengの島旅史上、最も考えさせられた島、でした。
さて、こんな精神状態でアート作品を見学するのは、なかなか苦痛を伴います。
正直、解剖台のインパクトが強すぎて他の展示物はあまり印象に残っておりませんが
絵本作家でもあります、田島征三氏による“青空水族館”はイイ感じ、でした。

人魚さんが、ビー玉でつくられた涙を、床にこぼれ落ち続けさせておりまして。
なお、ここは元は患者さんたちが暮らしておられた部屋を改装しておられます。
まだ2013年の春会期ですので、残念ながら、まだ未完成の部分がありまして。
秋会期までには、全ての部屋が完成する、とのことでしたが。
この作品は、完成型を見てみたいぞ、っと。
しかしながら、また解剖台を見ることになる、と思うと、かなり気が重くなりますが。
ま、機会と勇気があれば、訪れることにします。
大島から16時15分発の官有船で高松港に戻ったあと、JR高松駅でおみやげを購入します。
やっぱ、会社にはおみやげ持って帰らないと…。
徐々に現実社会に戻されつつある、tatsu_pengです。
通りかかったJR高松駅構内で、瀬戸内国際芸術祭の青いノボリを発見。
3シーズンチケットにスタンプを押してもらえるかな、と、反射的(?)に近づきます。
ここにおられた、芸術祭のスタッフさんが…。
「そろそろ、アラーキーのラッピング電車が到着しますよ。」
と教えてくださいまして。
アラーキーかぁ…コレは絶対、見ねばっ。w
せっかくだからね、ってことで、みどりの窓口で販売されておりました
“さぬき高松うどん駅 記念入場券”を購入します。

ちなみに、みどりの窓口のお姉サマには…。
「記念入場券の“釜玉”と“ぶっかけ”くださいっ。」
ってオーダー…じゃなかった、お願いしたのですが。
切符売り場での発言ではありませんな。w
さて、この“アラーキー列車”とは、tatsu_pengもダイスキな写真家であります
荒木経惟(通称:アラーキー)氏の作品がラッピング(貼り付け)されている電車でして。
ラッピングされているのは、1編成4両のみ。
これが、JR四国管内で、一日に計10本が運行されておりまして。
そのうちの1本は、高松駅着が17時32分で、発車が17時55分となっております。

こんな感じで、人形や怪獣、花などで、フツーの在来線電車が彩られてます。
極彩色の花の楽園をイメージされているよう、ですが…。
正直、かなりグロいっす。
これだけのインパクトを与えるとは、さすがは天才アラーキー氏、です。
ただ、この電車を利用している方々にとっては、すでに見慣れた光景になってしまった
んでしょうか、ほとんどの乗客さんは、全く興味が無いご様子で…。
ま、毎日乗ったら見飽きる、か。w
さて、この日は同じ香川県内の坂出市にあるビジネスホテルで宿泊します。
明日も晴れの予報ですし、グッスリ寝て明日に備えるとします。
最後に、tatsu_pengより、ヒトコト。
解剖台をこの目で見て、tatsu_pengも色々と思うことがありすぎたようで、
相当に長いブログになってしまいましたことを、お詫びいたします。
ここまで読んでくださって、ホントありがとうございます。
いつもムダに長いブログだろ、ってツッコミは、ナシの方向でお願いしまする。w
香川県は高松市内のビジネスホテルで目覚めた、tatsu_peng。
この日も、外は快晴の青空です。
tatsu_pengの日頃の行いが良い、とは決して思えませぬが。w
tatsu_pengが宿泊するビジネスホテルは、朝食バイキングが無料サービスなんです。
しかしながら、この日は無料の朝食を子供たちだけに食べさせることにして、
オトナは朝から讃岐うどんとします。
香川に来たんだもん、やっぱ朝からうどんだよね。
ってことで、朝からは高松市にあります“一福(いっぷく)”さんへと向かいます。
前回、お店には訪れながら、改装中(?)の臨時休業で涙を飲んだんですよね…。
今回は、無事に営業されてました。

かなり混雑するお店らしいのですが、開店直後の午前10時頃に訪れておりますので、
店内はまだ、他のお客さんもまばらな状況でして。
改装直後なんでしょうか、キレイな座敷席もあり、子供用の小さなイスや取り皿まで
用意されている、という子連れに優しいお店、でした。
このあたり、ありがたいっす。
tatsu_pengがオーダーしたのは、2玉の温かい“かけ”が300円に加えて、
これまた2玉の冷たい“ぶっかけ”が330円と、1玉の“釜玉”が280円の、合計3つ。

これに加えて、1コ100円の“ちくわ天ぷら”と“えびのかき揚げ”を取ってきました。
…朝から食い過ぎ、って。w
讃岐うどんの食べ歩きをされている方は、オーダーするのは小(1玉)のみで
何軒もハシゴしちゃう、というパターンも多いか、と思われます。
しかしながらtatsu_peng、1日に訪れるのは、朝~夜までかけても4軒が限度。
ま、1軒でこれだけ食したら、ハシゴも短い(?)よね、って思われそうですが…。
せっかく訪れたんだし、いろんなメニューを食さねばっ。w
冷たいメン、温かいメン、釜揚げメンと、できれば全部試してみたいんです。
良くできたメンは、それぞれに違う表情を見せてくれますし…。
ただの欲張りです、ハイ。
子供たちに取り分けてあげたあと、ガンガンズルズルと食します。
う、美味いっす。w
メンはかなり細いものの、しっかりとしたコシがあります。
細メンでも、ここまで頑張れる(?)んだ、と再認識させてくれる美味しさです。
“tatsu_pengオリジナル・讃岐うどんのお店ランキング”の上位が変動した瞬間でした…。
ブログにアップするつもりはありませんけど。w
ちなみに、釜玉を一玉でオーダーしたのは、理由がありまして…。
1コの卵でコーティングできるのは、うどん1玉が限度。
二玉(大)以上にしちゃうと、どうしても卵の味が薄くなってしまいます。
釜玉をこよなく愛するtatsu_pengとしては、味のバランスも考慮しての選択なんです。
…って、エラそうに能書き垂れてますが。w
ま、味の好みは人それぞれ、ってことで。
なお、この釜玉に使われている釜揚げメンにも、十分なコシが残っていて美味でした。
次男の駿クン(2歳5ヶ月)も、朝にホテルでパンをガッツリ食したとは思えないほどの
食欲を見せてくれまして。

豪快にうどんをすする見事なまでの食べっぷりに、感心しちゃう親バカtatsu_pengです。
さて、子連れにも優しいし、なにより肝心のうどんも超美味な一福さんですが、
席に自由に持って行ける灰皿が置いてあったのが、非常に残念です。
全席禁煙でも、文句は出ないと思われますが。
tatsu_pengが訪れている間、タバコを吸われる方は誰もいらっしゃらなかったのが
幸いなのですが。
このあと、もう一軒うどんのハシゴをしてから、“高松港”へと向かいます。
JR高松駅&港付近は、駐車場料金も高いんだろうな、と覚悟しつつ探してみますと、
なんと、港に近い“サンポート高松”のすぐそばに、無料駐車場がありました。
公式ガイドブックには記載されてる、かも…。
軽く100台以上は駐車できそうなスペースが、バッチリ確保されています。
ただ、あくまでも“瀬戸内国際芸術祭 2013”に訪れた方専用の無料駐車場ですので、
利用する際には、作品鑑賞パスポートなどが必要となりますが。
昨日、3シーズンパス買ったもんね。w
路面は舗装されておらずダートですが、タダに勝るもの無し、でしょう。
この日、高松港から向かうのは“大島”でして。
あ、全国各地に同名の島は多数存在しているんですが、今回は高松市沖の大島です。
…勘違いされない、か。
さて、この大島には“国立療養所 大島青松園”という医療施設がありまして。
大島へ向かうには、この大島青松園さんが所有する“官有船”に乗船しなければなりません。
芸術祭期間中に乗船するためには、高松港旅客ターミナルビル1階部分に開設されている
“高松港総合インフォメーションセンター”で発行される整理券が必要となりまして。

乗船定員を超えちゃうと乗れないそうですので、このような整理券が必要なんです。
この日が平日だったからでしょうか、高松港13時55分発の便が出港する40分前でも、
余裕でゲットできました。w
なお、乗船料金は官有(=国の所有物、ってことです。)の船につき、無料です。
ま、tatsu_pengも、バッチリ税金払ってますし…。
税金のささやかなる還付だと思って、ありがたくタダで乗船させていただきます。
高松港からは、わずか25分で大島に到着します。
到着後、まずは“こえび隊”さんのツアーに参加する、という形式で島内を巡ります。
そのあと、ようやく自由行動できる時間となりまして。
約2時間弱という滞在時間で、このツアーの所要時間が約1時間…。
もうちょっと、自由時間が欲しいけど…。
あ、こえび隊ってのは、瀬戸内国際芸術祭2013のボランティアサポーターさんたち
のこと、でして。
昨日訪れた“豊島”でも、各アート作品前などで活動されておりました。
ツアー参加者のタグを首にかけた、長男の優歩クン(3歳3ヶ月)です。

さて、この大島の歴史、なんですが…。
昔、実質的にハンセン病患者さんたちの強制隔離島でした。
ハンセン病(かつては、らい病と呼ばれてました。)の原因細菌であるライ菌は、
1873年にノルウエ-人の医師でありますアルマウェル・ハンセンが発見しました。
残念ながら、戦前は効果的な治療法がなく、適切な治療を受けられない場合は
体の末梢神経がマヒしたり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴で、
病気が進行すると容姿や手足が変形してしまうことから、かつて患者さんたちは
強い偏見や差別を受けられたそう。
そのうえ、ハンセン病は空気感染する、と恐れられていたことから、 日本全国に
療養所がつくられ、患者さんたちは半強制的に隔離されていたそうです…。
“らい予防法”という法律に基づいて。
そのうちのひとつが、ここ大島につくられた大島青松園さんでした。
戦後、特効薬の開発などで、後遺症まで進展することはなく治癒する病気になりました。
しかしながら国は、1996年に“らい予防法の廃止に関する法律”が制定されるまで
約90年に渡って、このような患者さんたちの強制隔離政策を続けまして。
法律廃止、遅きに失してます。
その間に、患者さんたちの高齢化が進むのは当然のこと、です。
ちなみに、療養所に入所している方々の生活は、国費により賄われておりまして。
そして2001年、800~1,400万円という額の補償金が支給されるという
“ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律”が制定。
一生療養所から出られない、実名を名乗ることができない、子供を産めない、
死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない…などのハンセン病に対する理解不足による
偏見で、様々な苦しみを味わわされてきた代償です。
奪われた時間を考えると、安い金額だと思われ。
そんな負の歴史がある大島を、こえび隊のお姉サマに付いて歩きます。
前回、2010年に開催された芸術祭の会期期間中、3か月あまりの間に
大島には4812人が来島された、ということです。
以前より大島に上陸したかったtatsu_pen、この芸術祭を狙って訪れました。
こんなチャンスがなきゃ、なかなか来られませぬ…。
大島に住んでおられるのは、大島青松園に入所されている方々と、その関係者のみ。
島内の道路は、ほとんどが舗装されていてキレイに整備されております。
中央線かな、と思わせる白いペンキ、実はハンセン病は眼にも悪影響を及ぼすため
目の悪くなってしまった方々が、このペンキを目印に道路を歩かれるそうでして。

ハンセン病の元患者さんたちが大多数ですので、万が一、感染の危険性があるかも、
と考えて、いろいろとリサーチしてみたのですが…。
ハンセン病で外見ではかなり重症化されていても、病気としては完全治癒しており
現在では、体の中にライ菌は全くいない状態だそうです。
未治療の患者さん、大島にはおられません。
ってことで、今では当然ながら、安心して訪れることができます。w
こえび隊ガイドツアーは“納骨堂”に到着します。
大島青松園が開園された明治42年以来、2,100名以上の方々が亡くなられたそう。
その多くが、この場所に入られているようで…。

ガイドツアー一行は、ここで黙祷いたします。
ここには、宗教や宗派も関係なく埋葬されている、とのことでした。
安らかに眠ってください…。
優歩クンも、いつになく神妙な面持ちで、小さな手をあわせてました。
黙祷後、こえび隊ガイドツアーはさらに島内を歩きます。
フシギなことに、小さな島に居るという感覚は全く無く、海沿いの集落を
歩いているような錯覚がします。
やはり雰囲気は違います…いろんな意味で。
次に向かうのが、島の北側に位置します“火葬場”です。

画像手前は、慰霊塔“風の舞”のひとつ、天上というモニュメントです。
平成4年に作製されたという、亡くなられた方々を火葬にし、納骨した残りの骨を
治めている場所なんです。
亡くなっても故郷のお墓に帰れない人がほとんどだった、昔の大島。
「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように。」
という願いが込められて、海に向かって据えられております。
不幸にも、ハンセン病に罹患してしまった肉体という呪縛と、法律により半強制的に
大島から出られなくなった不幸と、理解不足による周囲からの偏見の目などから…。
無事、解放されてますように…。
tatsu_pengも、ただただ、祈ることしかできませんでした。
こえび隊ガイドツアーの最終地点は、コチラの場所です。
昭和30年頃まで使われていたという、ハンセン病患者さんたちの“解剖台”前です。

あくまでもtatsu_pengの目には、無造作に(失礼…。)置かれているだけの解剖台を
見た瞬間、背中に寒気に近い電流が走りました。
ってか、今この画像を見ているだけでも、いまだに心がワサワサと揺さぶられます。
これ、公開していい代物なんでしょうか…。
フジツボが浸食した跡があるのは、今から30年ほど前に解剖室を解体された際、
不要になったこの解剖台を、海岸に捨てられてしまったから、でして。
ハンセン病患者さんたちの遺体解剖は、かつて全国の療養所で行われた歴史があり、
大島青松園さんでも、昭和30年頃まで遺体を解剖されていたようで。
実際、この解剖台で医学の進歩、という名の下で死後解剖されてしまわれた方々が
何名いらっしゃったのかは、明確な資料が残っておりませんので不明です。
こえび隊ガイドツアーのお姉サマからは…。
「解剖台の公開は、入所者の皆様との話し合いで決めました。」
との説明がありましたが…。
現在、暮している方々の感情しか考慮されてませんがな。
あくまでも仮定のハナシ、なんですが。
もしtatsu_pengが、30年以上前にハンセン病に罹って、ここ大島青松園さんで死亡し
死後、この解剖台の上で解剖されていたとしたら…。
この公開という名の展示は、絶対に許せませぬ。
この公開を報道した新聞記事をいくつか読みましたが、そのほとんどが
「悲しい歴史」という表現をされておりました。
悲しいのは、残された人の感情でしょうが。
もちろん、医学の進歩のために自ら進んで解剖された方々もおられたはず、ですが、
この上で実際に解剖されてしまった方々は、悲しみよりむしろ怒り、という感情が
強かったのではないかな、とtatsu_pengは想像します。
死後、解剖されてしまった方々の真意、定かではありませんが…。
実際に解剖されずとも、もし身内や親友が解剖されていたとしたら、ただ悲しむだけでは
修まらず、もっと攻撃的な心境になってしまうかもしれません。
一応、簡易的な屋根こそあるものの、ただ砂の上に置かれているだけの解剖台に、
亡くなられた方々に対する尊厳を守ろう、という意図は、ほとんど伝わってきません。
この状態で、芸術という名を借りた“ミセモノ”として展示し続けるのは、反対です。
もっと、違う保存方法があるはず…。
今、この場所に、この状態で置かれてしかるべきものじゃない、と強く強く思います。
しかしながら。
解剖台を実際にこの目で見てから、ハンセン病と大島の歴史を改めて勉強しなおした
tatsu_pengが、このようにブログで反対意見を発信することも、あえて解剖台を
公開される、という、勇気のある決断をなされたから、でしょうか。
…死者に対する勇気がある、って、度胸がある行為ですな。
今更ながら、大島青松園さんを含むハンセン病隔離施設でお亡くなりになられた
方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、この解剖台がこのような状態で
公開(ってか、芸術祭会期外は放置、でしょうが…。)され続けないことを願います。
tatsu_pengの島旅史上、最も考えさせられた島、でした。
さて、こんな精神状態でアート作品を見学するのは、なかなか苦痛を伴います。
正直、解剖台のインパクトが強すぎて他の展示物はあまり印象に残っておりませんが
絵本作家でもあります、田島征三氏による“青空水族館”はイイ感じ、でした。

人魚さんが、ビー玉でつくられた涙を、床にこぼれ落ち続けさせておりまして。
なお、ここは元は患者さんたちが暮らしておられた部屋を改装しておられます。
まだ2013年の春会期ですので、残念ながら、まだ未完成の部分がありまして。
秋会期までには、全ての部屋が完成する、とのことでしたが。
この作品は、完成型を見てみたいぞ、っと。
しかしながら、また解剖台を見ることになる、と思うと、かなり気が重くなりますが。
ま、機会と勇気があれば、訪れることにします。
大島から16時15分発の官有船で高松港に戻ったあと、JR高松駅でおみやげを購入します。
やっぱ、会社にはおみやげ持って帰らないと…。
徐々に現実社会に戻されつつある、tatsu_pengです。
通りかかったJR高松駅構内で、瀬戸内国際芸術祭の青いノボリを発見。
3シーズンチケットにスタンプを押してもらえるかな、と、反射的(?)に近づきます。
ここにおられた、芸術祭のスタッフさんが…。
「そろそろ、アラーキーのラッピング電車が到着しますよ。」
と教えてくださいまして。
アラーキーかぁ…コレは絶対、見ねばっ。w
せっかくだからね、ってことで、みどりの窓口で販売されておりました
“さぬき高松うどん駅 記念入場券”を購入します。

ちなみに、みどりの窓口のお姉サマには…。
「記念入場券の“釜玉”と“ぶっかけ”くださいっ。」
ってオーダー…じゃなかった、お願いしたのですが。
切符売り場での発言ではありませんな。w
さて、この“アラーキー列車”とは、tatsu_pengもダイスキな写真家であります
荒木経惟(通称:アラーキー)氏の作品がラッピング(貼り付け)されている電車でして。
ラッピングされているのは、1編成4両のみ。
これが、JR四国管内で、一日に計10本が運行されておりまして。
そのうちの1本は、高松駅着が17時32分で、発車が17時55分となっております。

こんな感じで、人形や怪獣、花などで、フツーの在来線電車が彩られてます。
極彩色の花の楽園をイメージされているよう、ですが…。
正直、かなりグロいっす。
これだけのインパクトを与えるとは、さすがは天才アラーキー氏、です。
ただ、この電車を利用している方々にとっては、すでに見慣れた光景になってしまった
んでしょうか、ほとんどの乗客さんは、全く興味が無いご様子で…。
ま、毎日乗ったら見飽きる、か。w
さて、この日は同じ香川県内の坂出市にあるビジネスホテルで宿泊します。
明日も晴れの予報ですし、グッスリ寝て明日に備えるとします。
最後に、tatsu_pengより、ヒトコト。
解剖台をこの目で見て、tatsu_pengも色々と思うことがありすぎたようで、
相当に長いブログになってしまいましたことを、お詫びいたします。
ここまで読んでくださって、ホントありがとうございます。
いつもムダに長いブログだろ、ってツッコミは、ナシの方向でお願いしまする。w