母子手帳のCMを見て、なぜだか号泣してしまった。理由はわからない。少なくとも「感動して」ではない。
純粋に悲しかったのかな。
私は不妊治療はしたけど、踏み込んだ領域は浅いと思う。
まだ治療の可能性があるのに治療をドロップアウトしようとしている。
理由は、自分の中のギリギリ保っていた糸のようなものが切れてしまったから。
タイミングのときも、治療を始めてからもこの3年間私は一度も着床したことすらない。女性としての不全感といったらなかった。
結婚して、ほどなく自然に子どもができたら子供ができて育てることに何の疑問ももたず、大変だけど幸せです。なんていって子育てしていたのかな。
でも、いざ不妊治療を始めると(しかもどっぷりと高齢出産領域で)いろいろなネガティブな情報にさらされる。
妊娠するまでも、してからも、産むまでも、そして育てるところも。加えて子供が正常発達で生まれてくるかどうかすらもわからない。
高齢であるほどたくさんの博打をうつ覚悟がないとだめなんだと知った。すべての人がそうではないし、自分にはおこらないかもしれない。でも、考えないわけにはいかない。
治療はつらい。つらいがゆえに、試されているような気がしていた。
お前はこれほどあるリスクを了承済みで、自分の今の生き方がひっくり返ることも承知で、どんなことが起こっても自分の子供という存在が、自分が生きていく上でこの上なく必要だと思えるか。
そのために、どんなことでもできるのか?と。
よく聞く言葉。この言葉で私はとても苦しくなる。
「好きな人と結婚したら、その人の子供が欲しくなる。」
私は正直よくわからない。夫は誰より優しくて、二人で生きていけることがこの上なく幸せだ。結婚して本当に幸せだと思っている。
だけど、だからといって絶対に夫との子供が欲しい、何に変えても。とまでの思考はとうとう出てこなかった。
私は思う。私の価値観でしかないが、20代、30代で夫と出会っていたら私はそう思えていたかもしれない。
子供は欲しいと思う。子育ては、心配しながらもやるしかなければするだろうし、数年後手を離れたり、老後お世話になったりしたときに「産んで育ててよかった」と涙することもあるのかもしれない。
でも、今の年齢からいろいろなことを覚悟の上で治療して、治療して、治療して、妊娠して出産して育児をしてフルタイムで仕事して、家事をして、、、本当にできるのだろうか。
40代に入って体力が少し落ちた気がするし、慢性的な頭痛や肩こりは年々ひどくなる。
私の中では41歳までに出産を終えられる、そんな奇跡がおきたらいいな。それが限界だなと思っていた。でも、それにかけた移植はかすりもしない陰性に終わり、そのとき糸がプツンと切れて、今まで泣かなかったのに医者の前で号泣していた。
それから病院に行けなくなった。
でも、まだまだ未練があり、妊娠出産系のSNSをつい見てしまうのは旦那さんのため。
旦那は正常な家庭で育ち、素直で優しい普通の人。一方私は機能不全家庭で育って変な思考の人。
夫はまっとうに子どもが欲しかったに違いない。でも産むのは女性でその願いがかなうかどうかは私にかかっている。
でも、私は産めない。
なので旦那の人生を私のせいで台無しにしてしまうのではないかと考えると涙が出てくる。治療はもう嫌。妊娠ももう嫌。いやなのに。
旦那が昔言っていた。「自分の子供ってどんな顔しているのかな。」「自分の葬式に子供が参列してくれたらうれしいんだけどな。」
私はずっとこの言葉を覚えている。
ごめんなさい、ごめんなさい。私が普通の思考の持ち主でなくて。すぐに子どもが授からなくて。
まだチャンスがあるかもなのに病院に行けなくなってしまって。
こめんなさい。
まだ、吹っ切れないや。